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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)3463号 判決

原告 選定当事者 鈴木藤夫

被告 東京セロファン紙株式会社

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  選定者らが被告に対して労働契約上の権利を有することを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

被告は、セロフアン、合成樹脂の製造加工、販売を目的とする株式会社であり、選定者(原告)鈴木藤夫(以下鈴木という。)は昭和三七年四月、選定者小原敏秀(以下小原という。)は昭和四四年四月、選定者石田正敏(以下石田という。)は昭和四一年四月、選定者入江芳夫(以下入江という。)は昭和四二年四月、それぞれ被告(以下会社ともいう。)に雇用され、昭和四七年三月当時いずれも本社研究部に勤務していたものであるが、会社は右選定者ら四名(以下単に選定者らという。)をすでに解雇したとして、会社と選定者らとの間の労働契約関係の存在を争つている。

よつて、原告は選定者らが被告に対し労働契約上の権利を有することの確認を求める。

二  請求原因に対する答弁

請求原因事実は認める。

三  抗弁

(一)  会社は、昭和四七年四月七日、選定者らに対して就業規則三二条二号に基づき解雇する旨の意思表示(以下本件解雇という。)をした。右解雇は、会社の業績不振のため人員縮小(本件合理化)の必要を生じ、選定者らをその所属していた研究部門の従業員として雇用継続することができなくなつたため、被解雇者の新職場として設立された新トーセロ産業株式会社に採用される前提でなされたものであり、その理由の内容は以下に述べるとおりである。

(二)  本件合理化に至る経過

1 第一次合理化計画(体質改善計画)

会社の経営状況は、セロフアンの原材料であるパルプの値上り、市況の悪化等により第七九期(昭和四三年一一月から同四四年四月まで)から急激に低下したが、とりわけ会社の東京、浜松両工場のうち東京工場は、セロフアン部門を中心に低迷を続けた。会社は、この状況を打破すべく、昭和四四年一〇月二五日付で「体質改善計画」を会社の従業員が組織する合成化学産業労働組合連合(合化労連)東京セロフアン労働組合(以下単に組合という。)に提示し協力を要請した。右計画の要点は第一にセロフアン部門の体質強化として物的生産性向上、低コストの実現、品質の向上、第二にプラスチック製品の製造開発に全力を投入し、当面はセロフアンとプラスチックフィルムとの売上比率を五対五にすることであり、その具体的内容は、「(イ)東京工場の原液・製膜部門を昭和四五年八月一六日以降一斉に休止する。これによつて従来約三八〇名を擁し、普通セロフアン、防湿セロフアン、CPフィルムを製造していた同工場は、一七五名程度で防湿セロフアン、CPフィルムのみの製造を継続し、採算の維持をはかる。(ロ)東京工場で休止するセロフアン部門の埋合わせを含め、浜松工場のセロフアン部門の設備人員を増強しセロフアンの集中化をはかり、ビニロンフィルム部門についてもこれを強化する。浜松工場の人員は従来の約五三〇名を六二〇名程度に増員する。(ハ)プラスチック製品の製造開発のために、茨城工場を新設し、KコートOPフィルム・CPフィルム・延伸フィルムの生産にあたる。人員は約一七〇名とする。」というものであつた。

東京工場の縮小を行わざるを得ない事情は、「(イ)首都圏における工業等の制限に関する問題 首都圏においては、作業場の床面積の合計が基準面積(一、〇〇〇平方メートル)をこえる場合それ以上の作業場の建設は制限されるが、東京工場は既に床面積が八、六三九平方メートルに達しているため、新たな設備拡大によりコストダウンをはかることは困難である。(ロ)工業用水に関する問題 工業用水については地盤沈下防止等のため従来の井戸水から工業用給水に転換を義務づけられているが、その場合水温が高いために夏場の冷却装置が必要となり、また水質からみて浄化装置をつけなければならなくなるので大きなコストアップとなる。(ハ)工場排水に関する問題 公共用水の水質保全に関する法律により、東京工場においては工場排水の処理に相当の出費を強いられる。(ニ)工場排ガスに関する問題 セロフアンの製造過程で生ずる排ガス(硫化水素、二硫化水素)は有害ガスとして東京工場において公害問題をひきおこしている。(ホ)電力問題 東京工場の電力は、受電電圧六、六〇〇ボルト、契約電力一、八〇〇キロワットであるが、今後工業用水の冷却設備、ポンプ、排水処理設備を備えるとすると、契約電力は二、〇〇〇キロワットをこえざるを得ず、二、〇〇〇キロワット以上は特高受電設備を必要とするので新たに相当な投資を余儀なくされる。(ヘ)側線問題 王子駅から荷扱所への引込線が近い将来撤去される見通しで、パルプ等の搬入方法、貯蔵法をどうするかの問題がある。」ということであつた。

組合は、会社の右計画提示に対し、昭和三八年一二月一五日締結の「合理化に関する協定」(その骨子は、会社が工場閉鎖、譲渡、縮小、他社との合併等を行うときは組合に事前説明を行い、新たな労働条件の基準については組合と事前に協議する。大量配転等は事前通知、協議を行う、等のいわゆる事前通知及び協議制を定めたものである。)を改訂するように要求し、要求の基本的部分が容れられない段階では協力できないという方針であつたが、昭和四四年一〇月二九日以来数度の団体交渉ののち、同年一一月八日になつて、会社と組合は前記合理化協定改訂に関し一応の合意に達し、これにより組合は前記体質改善計画に基づく工事の着工について「関知せず」との立場をとるに至つた。右合意は、昭和四五年二月二〇日付「合理化に関する協定」となつた。

体質改善計画の実施については、右合意後労使で話合われたが、昭和四五年二月一七日に会社は組合に対して次のような見解を提示した。

「(イ) 東京工場の将来について 東京工場の将来については防湿セロフアン並びにCPフィルムの製造を継続する。また研究部・施設技術部との緊密な連携のもとに工夫改善を進め、既存製品の品質並びに製造効率の向上を図るとともに、互に協力して新製品の開発を進める考えである。

(ロ) 東京工場から転勤し得ない人の問題について 会社として、今回の体質改善の趣旨を理解してもらい極力円満に配置転換がなされるよう努力し、同時に従業員の協力を得たいと考えるが、どうしても東京工場に残らざるを得ない人については、雇用の保障を基本とし、責任を持つて職場を保障する。

(ハ) 茨城工場の将来について 第一期計画としてKコートOP、CP、延伸の各フィルムの生産を行うが、今後については、当社のプラスチックセンターとして、包装資材に限らず、工業用資材として特徴のあるプラスチック製品の生産を逐次開始出来るように考えている。従つて研究部門の研究開発についても、そこへ重点を置いて進めている。

(ニ) 浜松工場への配転問題について 「合理化に関する協定」に沿つて慎重に進めたい。(以下省略)」

右体質改善計画は、昭和四四年暮から実施され、昭和四五年八月以降一二月にかけて東京工場から、茨城工場へ一一一名、浜松工場へ一名、本社開発工場(昭和四五年一二月一日東京工場敷地に発足)へ一〇名の配転が発令され、計画は配転者の員数において若干の齟齬をきたした点を除くとほぼ予定どおり実行された。

2 業績の悪化(第八二期~八三期)

前記体質改善計画の実施にもかかわらず、会社の業績は第八二期(昭和四五年五月から同年一〇月まで)および第八三期(昭和四五年一一月から同四六年四月まで)において悪化し、第八三期に至つて遂に無配に転落した。すなわち、第八二期の売上高は東セログループ内各社からの仕入品を含め、約五五億六、四〇〇万円であつたが、営業利益では約三、〇〇〇万円の赤字、経常利益では約九、六〇〇万円の損失となつた。さらに、第八三期において売上高は仕入品を含め約五四億九、七〇〇万円で前期より若干減少し、営業利益の段階では約一億五、〇〇〇万円の赤字、経常利益では約二億一、九〇〇万円という赤字を計上した。両期とも、会社は資産の売却益をもつて損失を補てんした結果、第八二期は最終段階で三、六〇〇万円余の利益を計上し株式配当も従前通り一割の配当を実施したが、第八三期は特別利益による赤字補てん後においても約二八〇万円の利益しか計上できず、無配に転落した。

このように業績悪化の途上にあつた会社の経営状能を資金面からみると、第八二期の決算の悪化をみた金融機関は、会社の将来の経営に対し警戒を強め、昭和四五年年末から会社への融資を渋つたため、前記のように損益計算上利益を計上したにもかかわらず、資金面から倒産の危機を招いた。この危機は、昭和四六年一月に取引金融機関が「昭和四六年三月までに抜本的再建策をたて、その実施により再びこのような事態を招かないこと」を条件として、二億三、五〇〇万円の融資をしてくれたことにより切り抜けることができた。会社は再建案の検討を急いだが、その確立をみないまま第八三期はさらに大巾な赤字決算をまぬがれないことが明らかになつたので、取引金融機関からの運転資金の融資は不可能となり、農協系金融機関から約一億円の融資を受けて急場をしのいだが、昭和四六年五月に至り遂にあらゆる金融機関よりの運転資金の調達は不可能となつた。この段階において、大株主からの緊急融資一億三、〇〇〇万円を受け危機を脱却することができた。

3 右のような業績悪化の原因は次の通りであつた。

(1) 企業体質が脆弱であること。

(イ) 生産コストが同業他社に比較して高いこと。普通セロハン並びに防湿セロフアンのコストについて第八三期中の平均値を同規模の同業他社の同期間中の平均と比較すると、浜松工場普通セロフアンはフルコストでは連当り六〇円ほど高く、防湿原紙でもフルコストで連当り約二四〇円高い。防湿セロフアンは同業他社のコストに比較して原紙費用を含めたフルコストで、東京工場では一、四〇〇円余、浜松工場で九〇〇円余高くなつている。

(ロ) 一人当りの物的生産性が低いこと。昭和四五年五月から一年間の従業員一人あたりの物的生産性を同業他社と比較すると、浜松工場の普通セロフアン、東京、浜松両工場の防湿セロフアンとも他社より劣つている。

(ハ) 付加価値に占める人件費の割合(労働分配率)が高いこと。世間一般の企業における付加価値分配率は三五ないし四〇パーセント台を推移しているのに対し、会社のそれは第七六期において既に五〇パーセントをこえ、以後毎年上昇の一途をたどつて第八二期では七〇パーセントに達している。

以上の(イ)ないし(ハ)の現象は特に東京工場において顕著であつた。浜松工場は黒字工場であり、茨城工場は赤字ではあるが見通しが明るく第八七期においては工場段階において黒字に転化することが予測されていたのであるが、東京工場については公害問題等があるため、将来にわたつて収支が好転することは全く考えられず、工場段階では毎年三億円以上の赤字が累積することが確実とされていた。

(2) 研究開発費の売上高に占める割合が高いこと。

第八二期及び第八三期には約一億五、〇〇〇万円が開発費にあてられたが、会社の規模、業績から考えた場合その負担は過大であつた。

(3) 償却費、金利負担の増大

昭和四四年から四五年にかけて実施したいわゆる第一次合理化計画(体質改善計画)による設備の増設に伴い、減価償却費並びに金利の負担が増大し収益を圧迫する原因となつた。

(4) 変動費が上昇したこと。

主要原材料であるパルプが再三値上りし、加えて稼動の安定を欠いたためこの面からコストの上昇をみた。

(5) プラスチックフィルム関係の市況が影響したこと。

会社はOP、CPなどプラスチックフィルムの生産、販売を行つているが、プラスチックフィルム業界は各社が設備の拡大をはかつたため、需要の伸長がこれに伴わず需給のバランスをくずし過当競争となつて弱含みの市況で推移してきたので、販売努力にもかかわらず売上げ連数が予定を下まわり予定利益の減少の要因となつた。

4 第八四期以降の損益見通し

第八三期のまま何等の対策も講ぜすに推移したとすると、会社の売上高は第八五期及び第八六期は主として茨城工場の売上連数の増加、浜松工場のセロフアン生産量の増加と価格の上昇等により、対前期比約一〇パーセントの上昇率となるが、第八七期以降はこれらの伸び率は低下し、さらにセロフアンの価格の下落も見込まれるので五パーセント以内の伸び率に落込む見通しであつた。従つて、前半の第八六期ではコスト上昇分を売上の増加分でおぎない経常利益における赤字は一億四、〇〇〇万円台にまで下るが、後半は増産余力がなくなると同時に製品価格の下落が見込まれるので、第八九期では約二億四、七〇〇万円の損失計上に至ると推定され、この間一時的な赤字の減少はあつても連続して大巾な欠損となる見通しであつた。以上のように資本金五億円(当時)の会社が一期で一億円以上、年間にして二億円以上の赤字を負担する状態が続けば、その倒産は必至であると判断された。

5 経営陣の交替と増資

このため、会社においては昭和四六年六月二九日社長以下の経営陣が交替し、同年七月一日資本金を五億円から一〇億円に増資し、その払込金手取概算五億四、六〇〇万円をもつて当面の資金繰りに当てることとしたが、倒産をさけるためには早晩何らかの抜本的な再建策を講ずる必要があつた。

6 「会社の現況ならびに再建案の骨子」の発表(予備提案)

以上のような経緯から、昭和四六年八月九日、会社は再建のための施策として「会社の現況ならびに再建案の骨子」を組合に示してその理解と協力を求めた。

再建案の骨子のうちまず会社の経営努力によるものとして、「〈1〉原価切下げの諸対策〈2〉仕入、販売面においてメーカーの主体制を確立しその関係の抜本的改善をはかる〈3〉機構の改革ならびに人事の刷新を行い責任体制を確立する〈4〉茨城工場における生産体制の整備〈5〉浜松工場の公害対策を実施し職場の安定化をはかる」等の諸点を掲げた。このうち特に会社が重視していたのは、〈2〉のメーカーの主体制の確立であつた。当時会社の商品はすべて総代理店である東セロ商事株式会社(以下東セロ商事という。)によつて販売されていたが、東セロ商事は販売価格を維持する努力をしなくても販売価格の四ないし五パーセントの手数料が保障される体制になつていたので、低い価格で販売連数だけを確保し、メーカーに損害を与える傾向がないでもなかつた。このため会社は少なからず被害をこうむつていたので、東セロ商事に対し右関係の抜本的解決を双方の担当者で話し合いたいと申し入れ(文書による正式申入れは再建案を正式に提案した九月二九日)、さらに同年九月一日会社本社業務部に販売課を設置した。会社は、このための努力を本件合理化後も続け、同四七年五月業務部の組織を改めこれを販売部とし、その下に販売課と業務課を設置するなど、メーカーとしての販売体制の確立に努めたほか、東セロ商事との関係は、仮価格を仕切価格に変更し、さらに三井石油化学工業株式会社が一〇〇パーセントの株式を有する新東セロ商事株式会社を設立して東セロ商事の販売権を譲り受けるなどして、会社は販売面におけるメーカーとしての主体性の確立をしたのである。また〈5〉の公害関係については、東京、茨城、浜松の三工場とも問題をかかえているが、特に浜松工場は会社の中心的な工場であつたので公害対策はできる限り実施する予定であつたが、排気ガス、排水ともに対策が急がれ、しかも同工場だけで公害投資は当面三億円と見込まれその後も状況によつては数億円の追加投資が必要となり会社の資本金一〇億円に匹敵する公害投資もありえた。

次に従業員の協力を得て実施する事項は、「〈1〉東京工場の閉鎖〈2〉東京工場内にある研究部並びに開発工場の閉鎖〈3〉人員に対する考え方〈4〉労働条件及び福利厚生関係について」等からなつていた。

〈1〉の東京工場の閉鎖については、同工場は体質改善計画によりセロフアン製造設備の休止、茨城、浜松両工場への配転、浜松工場への一部設備の移設を行つてきたが、諸般の情勢を勘案し、次の理由により閉鎖せざるを得ない。〈イ〉東京工場における収支面の改善は望めないこと。第八四期において、工場段階で約一億六、〇〇〇万円の赤字が見込まれ、これの改善は現状では不可能である。〈ロ〉同工場の収支面の改善は将来においても望めないこと。第八五期以降に予想される損益は、今後防湿セロフアン、CPがフル生産に移行したとしても、毎期一億五、〇〇〇万円前後の赤字となり、年々増大する労務費その他の費用増を負担しきれない。〈ハ〉同工場において防湿セロフアンの製造を継続することは極めて不利であること。浜松工場で生産する原紙を東京工場で加工し、さらに消費地に輸送することは、加工利益の巾が大きい場合はともかく、現状では他社に比べ非常に不利であり、この状況はセロフアンの価格の推移を予想した場合、将来にわたつて同じであると考えられる。〈ニ〉工業用水関係。東京の城北地区においては、地盤沈下対策として井戸の規制(一六〇メートル以深で吐出口の口径四六平方センチメートル)が行われていたが、依然として地盤沈下が続くため、昭和四六年五月一五日を期して井戸の規制が強化され、深度六五〇メートル以深で吐出口の口径二一平方センチメートル以下のものでないと使用許可とならなくなつたので東京工場の井戸は全部使用不可能となり、全面的に工業用水に頼らざるを得なくなつた。また夏場における工業用水の水温は摂氏二八ないし二九度になるので、工業用水の冷却設備のための新規投資を必要とし、従つて従来の地下水のコストに比べ相当割高とならざるをえない。〈ホ〉大気汚染関係。亜硫酸ガスの規制のため、昭和四六年二月から都条例により硫黄含有率一・七パーセント以下の重油を使用することとなつたが、昭和四六年八月以降は更に硫黄含有率一・三パーセントの重油を使用せざるをえなくなり、このため重油のコストは従来の一・五倍となる。

〈2〉の東京工場内にある研究部ならびに開発工場の閉鎖の必要性は、次の事情によるものであつた。研究部並びに開発工場については、現状では年間約二億円の経費負担となつており、これは現在の会社の規模としてはあまりにも過大な経費負担であり、現在のままの規模で今後これを持続することは到底不可能である。従つてこの際研究部並びに開発工場については閉鎖せざるをえない。なお、今後の研究開発については、当社にふさわしい規模と生産現場に密着した形で再出発したい。

〈3〉の人員に対する考え方の内容は、〈イ〉本社、浜松工場、茨城工場における男子社員について希望退職者を募集すること(除女子)〈ロ〉当分の間新規採用を中止すること(除女子)〈ハ〉特別員、臨時員については原則として勇退していただくこと等であり、

〈4〉労働条件及び福利厚生関係については、不合理な点についてはこの際是正したいと思つているので、成案をえたら充分相談したいというものであつた。

7 組合の態度

組合は、右会社再建案の骨子に対し絶対反対の立場に立つて、拡大計画による再建案の作成、合理化協定の遵守等を内容とする要求を提出した。会社はこれに対し、拡大計画による再建が全く困難であること、労働協約の遵守義務はいうまでもないことであるが、履行不能になることもまたやむをえないところであり、会社は今まさにそのような最悪の事態に直面しているということを回答した。

8 正式提案の提示

会社の置かれた状況でこのまま推移すれば、会社存立すら危ぶまれ、事態は日一日と破局的段階へ向つていたと判断した会社は、同年九月二九日組合に対し、前記「再建案の骨子」に盛られた会社の経営努力による五項目については、会社は誠意をもつてこれが実行に当るが、これだけでは到底再建は不可能であるので、組合と円満に話合いの上、組合の協力をえて次のことを実施したいと申入れた。その内容は以下の通りである。

〈1〉 東京工場、研究部並びに開発工場を閉鎖したい。これに伴い残務整理要員若干名(公傷と認定され障害等級に該当している者を含む)を除き、全員に勇退願いたい。この場合の取扱いについては次の通りとしたい。〈イ〉勇退者については、できる限り就職の斡旋をする。〈ロ〉将来、会社が増員する必要が生じた場合は勇退者またはその子弟のなかから優先的に適格者を採用する。〈ハ〉退職者に対する条件は次の通りとする。〈a〉既定退職金 会社都合による支給率(甲表)を適用し計算した額(税込)を支給する。〈b〉退職加給金および特別退職加給金 既定退職金のほかに下表の通り加給金をそれぞれ支給する。但し満五五才以上の者は、満五六才まで勤務したものとみなし停年退職扱いとして計算し加給金は支給しない。(表以下中略)

〈2〉 希望退職者募集 本社(出向者を含む)、浜松工場、並びに茨城工場に勤務する者に対し、希望退職者を募集する(除女子)。募集期間は一〇月二一日より一〇月三〇日までの一〇日間とし、所属長に本人が申し出るものとする。(中略)

〈3〉 希望退職後の人員の適正配置については従来の慣行にとらわれず、迅速に実施したい。また、仮眠制度は今後逐次廃止したい。

〈4〉 当分の間新規採用は中止する。

〈5〉 特別員、臨時員等の勤務者は原則として勇退願いたい。

〈6〉 労働条件及び福利条件については、今回は具体的に提案しないが、今回の提案の実施をもつてしても会社の経営がその苦境を脱することは容易でないので、今後における賃金の改訂及び賞与については、当分の間、格段の協力を得たい。

9 正式提案から年末に至る労使交渉の経緯

(1) 組合の基本的態度

会社の正式提案に対し、組合は、組合が検討調査した結果では会社案によると整理対象者は二七〇名となるが、そのような整理の理由はない、会社の検討した内容について資料を提出してほしい、首切り再建ではなく拡大計画によつて再建すべきである、またメーカーとして研究部門を否定してしまう考え方はおかしいと主張した。

(2) 「再び再建案について」

これに対し会社はそれまでの労使交渉の中で出てきた主要な問題点について整理し、昭和四六年一〇月一三日に口頭で説明し、後日同旨の内容を盛り込んだ「再び再建案について」と題する同年一〇月二〇日付文書を組合に提示した。右文書にとりあげた問題点とこれに対する会社の補足説明の要点は次のとおりであつた。

〈1〉 会社は本当に最悪の事態にあるのかどうか(収支面および資金面からの実情)。―収支、資金の面から会社が最悪の事態に至つた経過と会社の提案した再建案以外に当社の再建の道はないこと。

〈2〉 会社は現在経営努力を行つているか。―再建案の骨子で表明した「会社の努力により実施する五項目」につき努力している状況。

〈3〉 東京工場、研究部並びに開発工場はどうして閉鎖しなければならないか。―全社的な収支見通し及び他工場との収支面の比較から東京工場は閉鎖せざるをえないこと、現在の研究体制はその規模が過大であり、到底その負担に堪えないので、今後の研究開発については当社にふさわしく且つ生産現場に密着した小規模のものとして再発足せざるをえないこと、及び現在の製造品目の拡大によつて東京工場を維持していくことはできないこと。

〈4〉 東京工場、研究部並びに開発工場に在籍する人々の雇用を継続するか、他に配置転換する等していわゆる「拡大計画」によつて再建できないか。―セロファンの増強、茨城工場のプラスチツク部門の増強及び東京工場の生産設備の増強による人員の吸収について検討した結果、現在の製造品目による拡大策並びに配置転換による人員吸収は会社の再建策として到底とりえないこと及び新規事業についても検討の結果、人員吸収策はないこと。

〈5〉 再建案の中で働く人々の立場を十分考えたか。―会社は就職の斡旋により働く人々の問題を解決したいと考え、全力をあげてこれに取組む覚悟であること、将来会社が増員を必要とする場合は、希望があれば退職者またはその子弟のうちから優先的に適格者を採用することとしたいと考えていること、会社が資金繰り上最悪の事態にありながら関係金融機関の協力を求め、所要退職資金の確保に全力を傾注していること。

〈6〉 東京工場の敷地は現在どうしているか、また将来どうする方針か。―東京工場の敷地は借入金の担保になつているので売却しても返済に充てなければならず、この資金を利用して新しい事業に充当することはとうてい実施しえず、将来の措置については当社の再建が達成された時点において別途検討したいと考えていること。

(3) その後の交渉経過

〈1〉 同年一〇月二一日組合は会社に対し概略次の通りの内容の要求書を提出した。

(イ) 東京工場、研究部並びに開発工場において使用されている井戸水が一二月二八日を以つて規制され、使用不能となるので、会社は全責任をもち一二月二〇日までに工業用水及び飲料水の導入を完了すること。

(ロ) 会社拡大発展の諸対策として、当面、東京工場の諸機械設備および研究部、開発工場の開発途上にある技術並びに諸施設を他事業場に移管、移設を行う場合、組合の了解なしに行わない。東京工場の現有設備をフル稼動するため、不足人員補充を含め対策を早急に実施する、研究開発を積極的に推進する対策を早急に明らかにし実施する、現在製品及び新規開発品に関する技術、設備を関連会社並びに系列、下請会社等に移設しないこと。

〈2〉 会社は、これに対し、同年一〇月二六日付回答書で概要次の通り回答した。

右(イ)について。会社としては、一日も早く東京工場閉鎖に関する交渉を妥結せしめ、この際追加投資を避けることが会社のおかれている現実より判断して最も肝要である。

右(ロ)について。会社の決定事項に属することであるが、九月二九日付申入れの趣旨により交渉中であるので、その間は次の通りとしたい。

(a) 東京工場の諸機械設備の移設については、工場を閉鎖するまではできるだけ組合の申入れの趣旨に副うように努力する。研究部、開発工場の開発途上にある技術並びに諸施設を他事業所に移す場合については、組合との話し合いに著しく支障があると判断した場合は組合と連絡をとつたうえ万事とり進める。

(b) 東京工場の現有設備をフル稼働するための対策を講ずる件については、「再び再建案について」で述べた理由で困難であるので組合の要求に応じられない。

(c) 研究部、開発工場については、現研究体制は会社にとつてその負担が過大であるので閉鎖するが、今後の研究体制については、目下具体的に検討中であるので成案を得次第提案する。

(d) 現有製品及び新規開発品に対する技術設備を関連会社並びに系列、下請会社等に移す場合については組合と会社の会社再建についての話し合いに著しく支障があると判断される場合は、組合と連絡をとつたうえ万事とり進める。

〈3〉 同年一一月二日、組合は会社に対し昭和四六年度一時金の要求を提出したが、同日の団体交渉において会社は、会社の事態はますます困難の度合を加えているので支給できる余裕は全くない旨口頭で回答し、同旨の内容の回答書を同年一一月一二日付で組合に提示した。同年一一月一六日、会社は昭和四五年二月二〇日付「合理化に関する協定」及び「同付属協定」は昭和四七年二月一九日をもつて終了し、翌二〇日以降は延長しないこと及び昭和四五年二月一七日付をもつて組合に提示した「会社見解」中、〈イ〉東京工場の将来について及び〈ロ〉東京工場から転勤しえない人の問題についての項については、今次会社再建交渉の中で屡々述べた通りの事情であるから実施できないことを組合に通知した。これに対し組合は、同年一一月一九日申入書をもつて、会社の申入れはその根拠を欠く旨の主張をした。

〈4〉 同年一二月二日の団体交渉において、会社は人員整理の方針として、「以前の団体交渉において浜松工場の希望退職者数の一〇〇名については述べたが、その後人員計画を考え全社的に希望退職者を募集したい、人数は本社の場合は二〇ないし二五名程度、茨城工場は一五名程度と考えている、研究部については全員退職とし閉鎖後の構想にて目下検討中であるが、再採用になると思う、新しい研究体制の大体の構成は長以下二〇ないし二五名前後で考えている」旨表明した。「長以下二〇ないし二五名」という構想について当時会社は、内容として表面処理、溶融製膜、溶液製膜、品質あるいは物性、施設の五部門を考え、その各部門に四ないし五名位を担当者として将来いつの時点かに発足したいと考えていた。

〈5〉 労使交渉は会社再建問題と一時金問題について年内一二月二八日まで続けられたが、会社再建問題については、組合は会社提案の再建案を白紙撤回または棚上げした中で会社の再建について労使で考えることを主張し、会社は再建案の白紙撤回や棚上げはできないと主張した。一時金問題については基準内賃金一月分を会社は回答したが、組合は会社再建問題、一時金問題いずれも不満であるとして、翌年一月八日からの長期の同盟罷業を通告して新年を迎えた。この間、組合は、第一波二〇時間(昭和四六年一〇月一八日から一九日まで)、第二波六八時間(同年一一月一七日から二〇日まで)、第三波四三時間(同年一一月二九日から一二月一日まで)、第四波六六時間(同年一二月八日から一一日まで)、第五波九二時間(同年一二月一四日から一八日まで)、第六波九二時間(同年一二月二一日から二五日まで)の各同盟罷業を実施した。

10 少数交渉提案から中労委斡旋まで

(1) 少数交渉の提案

昭和四六年八月九日の予備提案以来労使は団体交渉を重ねたが、行き詰つて進展がなかつたので、同年一二月八日の団体交渉の席上で会社は、解決への前進になるなら例えば交渉方式にもとらわれない柔軟な姿勢でいきたいと少数交渉の意向を表明した。組合はこれに対し、首切り提案棚上げを主張し、少数交渉に応ずるか否かは会社の態度いかんであるとの立場をとつた。そこで翌年一月一四日の団体交渉の席上会社は正式に少数交渉を提案し、こういつた場が実現できれば今までの会社の姿勢に固執せず幅をもつた姿勢で臨みたいとの態度を表明した。組合は、会社の態度の変化を認めつつも、合化労連、組合員とも相談するために団体交渉を休会にして二二日頃に再開したいと要請し、団体交渉は約一週間休会となつた。団体交渉は一月二二日に再開され、組合は「会社は一方的首切りの強行はしないという立場で再建方法について具体的な話し合いをしたい」という判断をしたものとして、右判断にたつて少数交渉に応じると表明し、会社もこれを了承した。

(2) 少数交渉の実施

少数交渉は一月二二日午後五時から翌二三日の午後二時まで行われた。交渉メンバーは、会社側は水町社長、加藤常務、河野総務部長及び三工場長、組合側は合化労連の太田委員長、合化労連の佐々崎、渡辺、山田の各中央執行委員及び組合の福井委員長、長谷川副委員長、山下書記長、小栗浜松支部委員長兼中央執行委員、板谷本社支部委員長兼中央執行委員であつた。少数交渉では太田合化労連委員長と水町社長とのトップ交渉を含めかなり突つ込んだ意見の交換が行われ、交渉委員間では会社が合理化の対象となる組合員への広い意味の雇用保障を考慮するし、一時金についても増額回答の方向で検討すること等により収拾される見通しがついた。そこで会社は二三日の団体交渉において、「人の問題については広い意味での雇用保障という視野にたつて問題の解決にあたりたい、一時金については現在だしている金額以上のものは会社の実情からいつて不可能であるが、不可能だといつている間に会社をつぶしては元も子もなくなるので、この際前進した姿勢で臨みたい」との態度を表明し、併せてこれらの問題につき中央労働委員会への斡旋申請を提案した。

組合は若干休憩をとつたのちこれに同意し、翌二四日労使双方の申請という形で中央労働委員会に斡旋の申立てをした。

ところで、この間第七波一一四時間(一月八日から一三日まで)、第八波一一四時間(一月一七日から二二日まで)の同盟罷業が行われ、すでに通告してあつた第九波一一四時間は一月二六日から突入する予定であつたが二三日の団体交渉において、組合として斡旋についての結論が出るまで延期することとなつた。

(3) 中労委斡旋案の提示とその受諾

中央労働委員会における斡旋作業は一月二四日から二五日にかけて行われ二五日午後三時斡旋案が提示された。斡旋案の内容は次のとおりであつた。

「今次の会社再建にかんする争議は、広い意味の雇用保障を前提として、下記により解決されたい。

1 会社は、すでに組合に提示した経営努力による五項目については、誠意をもつてこれが実行に当るが、とくに販売面については、販売体制の確立をはかり、人材の積極的な活用により収益の向上をはかるものとする。

2 東京工場、研究部ならびに開発工場に勤務する者に対し、昭和四七年二月一日から同月一八日までの間、希望退職者を募集する。希望退職後の残り人員の取扱いについては、労使協議し、協議整いたる後、上記三カ所を閉鎖する。その目途を二月末日までとする。

3 上記三カ所の希望退職者の条件については、つぎのとおりとする。

(イ) 会社都合による退職金のほかに、下表のとおり加給金および特別加給金を支給する。(表略)

(ロ) 特別餞別金として、各人の基準内賃金の一カ月分(税込)を支給する。

(ハ) 退職日の如何にかかわらず、二月二九日までの賃金を保障する。

4 浜松工場、茨城工場並びに本社事務所に勤務する者に対し、希望退職者を募集する(除く女子)。

(イ) 募集期間は昭和四七年二月一日から同月二〇日までとする。

(ロ) 退職の条件は、会社都合による退職金のほかに下表のとおり加給金を支給する。(表略)

(ハ) 希望退職後の人員配置については、別途協議する。

(ニ) 浜松工場における希望退職については別途協議する。

5 前記各項のほか、会社の提案した事項については、別途協議する。(以下略)」

会社は昭和四七年一月二六日、組合は同年二月四日それぞれ右斡旋案を受諾した。

11 希望退職者募集

斡旋案にのつとり、昭和四七年二月五日から二〇日までの間、浜松工場を除く各事業所において希望退職者を募集したところ、結果は次の通りであつた。

事業場

47・2・4在籍者

希望退職者

残り人員

本社

管理職

一般職

その他

一七人

五七人

一人

七五人

二人

八人

一人

一一人

一五人

四九人

〇人

六四人

研究部開発工場

管理職

一般職

その他

九人

五六人

一人

六六人

〇人

二八人

〇人

二八人

九人

二八人

一人

三八人

東京工場

管理職

一般職

その他

六人

一七四人

七人

一八七人

〇人

一三七人

六人

一四三人

六人

三七人

一人

四四人

茨城工場

管理職

一般職

その他

五人

一五八人

一人

一六四人

〇人

八人

〇人

八人

五人

一五〇人

一人

一五六人

12 希望退職後の残り人員の取扱いに関する労使交渉の経緯

(1) 団体交渉(二月二一日)

残り人員の取扱いに関する労使交渉は、東京工場一般職の残り人員三七名のうち組合業務による休職者一名、公職就任による休職者一名、希望退職状況報告(二月二〇日午後六時)直後希望退職の申出をした者一名を除く三四名、及び研究部、開発工場一般職残り人員二八名、計六二名について行われた。残り人員の取扱いに関する最初の団体交渉(昭和四七年二月二一日)において、会社は「広い意味の雇用保障」を前提として希望退職後の残り人員の取扱いをいかにするかを検討の結果、〈1〉他企業への就職斡旋〈2〉茨城工場への配転を二本の柱として考えている旨を明らかにした。これに対し組合は「二本の柱では無理だ。斡旋の過程からして通勤可能な地域に職場を保障し、三本の柱とすべきだ。」と主張し、これに対する会社の文書回答を求めた。

(2) 団体交渉(二月二五日~二八日)

会社は組合の右主張を検討の結果、二月二五日の団体交渉の席上、文書をもつて次のとおり回答した。

「中労委あつせん案による東京工場、研究部並びに開発工場の希望退職後の残り人員については次の通りとし、二月二九日をもつて前記三ケ所を閉鎖し、三月一日より東京工場残務整理事務所とする。

1 広い意味の雇用保障については次の通りとする。

(1) 茨城工場への配置転換

(2) 新研究部門の発足

(3) 他企業への就職あつせん

(4) 別会社方式による代替職場

2 通勤可能な地域に別会社方式による代替職場を設け、そこに就労せしめ、会社は責任をもつて新会社の雇用の安定をはかり労働条件を低下せしめないよう努力する。

3 新会社の設立については次の通りとする。

(1) 名称      ○○産業株式会社

(2) 資本金     五〇〇万円~一、〇〇〇万円(株主は複数とする。)

(3) 設立時期    昭和四七年四月一日を目途とする。

(4) 業務内容    各種フィルムの加工ならびに販売

(5) 新会社の所在地 通勤可能な場所

4 新研究部門については次の通りとする。

(1) 研究テーマ 〈イ〉第一グループ KOP関係、離型フィルム等

〈ロ〉第二グループ CP、OP関係

〈ハ〉第三グループ 耐熱性フィルム、ビニロンフィルム等

〈ニ〉第四グループ 各種フィルム物性測定、分析

〈ホ〉第五グルーブ 電気、機械、施設関係

(2) 場所    茨城工場敷地内

5 残り人員は全員三月一日以降、機械設備等の保全、格納等残務整理業務に就労させる。

6 新会社要員、就職あつせんに該当する者に対しては会社都合(甲表)による退職金を支払う。」

また同日の団体交渉において、組合は人名は別にしてどこへ何名位配置するという人員規模はいつでるのかと質問したのに対し、会社は明二六日一一時から配転、新会社、新研究所、就職斡旋の員数を述べたい、最終的には会社が決定することではあるが、本人に直接面接して意向をききたいと答えた。

翌二六日、会社は右人員について、「茨城工場配転一〇ないし一五名、新研究部門一五名程度、新会社一五名程度、就職斡旋二〇名程度」との意向を明らかにした。これに対し組合は、茨城工場配転一〇ないし一五名はもう少し拡大してほしい、仕事の内容も明らかにしてほしい、二〇名程度の就職斡旋というのは斡旋案のいう広い意味の雇用保障にはならず新たな首切りと考える、二〇名の就職斡旋は今日中にでも取消してほしいと主張した。会社は組合の要望について検討した結果、茨城工場への配転一〇ないし一五名は若干名追加するかもしれない、新研究部門への一般職の配転は一五名程度としその余は新会社に配置したいと答えた。また同日の団体交渉で、会社は二月二八日に人名の発表を行いたい、従つてその前に残り人員六二名に会つて本人の意向を十分きいて、そのとおりにはできないが意向を十分尊重する形で最終的に決めたい、今日の午後からでも会いたいと述べた。

二八日の人名発表は、斡旋案に定める労使の協議期間が二月末日と切迫していたので、区切りをつける意味で設定したものであつた。これに対し組合は、面接をしても新会社の場所も判らないので返事もできない、労働条件もはつきりしておらず判断材料がないので面接は無意味だと主張した。会社は、これに対し、組合の要望も検討しつつ最終的な考え方をとりまとめ二八日一五時に成案の形で述べたい、面接ができないので会社の手持資料で成案を作ると表明した。

二月二八日一五時五分に団体交渉は再開され、会社は文書の形で残り人員の配置先を茨城工場配転、本社配転、新研究部の要員、新会社要員に分けて、人名を付して人選結果を組合に通知した。その内訳は、本社配転三名、茨城工場配転二〇名、新研究部門要員一七名、新会社要員二二名となつていた。さらに同二八日の団体交渉において、組合は、残り人員の取扱いについて小刻みな内容で判断材料を出されてはこれ以上交渉できないとして、全般にわたる回答を求めるために、明らかにしてほしい事項を文書にして同日付で申入れたので、会社は検討してできるだけ早く回答すると述べた。その後、三月三日付で組合はかねて組合より強く回答を求めていた閉鎖に伴う条件を文書にして要求した。

(3) 団体交渉(三月一四日)

団体交渉は三月一四日に再開され、この席上会社は「二月二八日付貴申入書ならびに三月三日付要求書について」と題する回答書を組合に提示し、残り人員の取扱いに関連して問題となつている事項全般にわたつて、会社の考えを明らかにした。

その内容は要旨次のとおりであつた。

「1 茨城工場及び本社への配転について

(1) 業務内容は次の通りとする。

イ 茨城工場 加工(KS、KコートOP)、OP、製品仕上、品質関係、管理関係および建設関係業務

ロ 本社   総務、経理、業務関係業務

2 新研究部門について

(2) 機構 本社機構の一環とする。

(3) 業務内容 以下の五グループとする。

イ 第一グループ 表面処理関係

ロ 第二グループ 溶融製膜関係

ハ 第三グループ 溶液製膜関係

ニ 第四グループ 各種フィルムの物性測定および分析

ホ 第五グループ 電気機械および施設関係

3 新会社について

(1) 別会社とする理由

イ 当社の現在の社会的信用、資金事情等から、対外的に信用もあり、資金力もある第三者と共同で設立せざるを得ない。

ロ 加工業者として自主独立による採算による小廻りのきく経営が最も適する。

(2) 会社設立の時期 昭和四七年四月一日の予定

(3) 工場の設置場所 通勤可能な場所として大宮周辺(春日部付近三ケ所、上尾付近二ケ所)を予定している。

(4) 業務内容

イ ビニロンの製袋加工

ロ CP、OPの製袋加工

ハ その他、三色印刷機一台およびスリッター一台を設置し、印刷および自家裁断に当てる。

ニ 以上各製品ならびに仕入品の販売業務

第一次の計画としては上記イ~ニの通りであるが、第二次としては、ラミネート製品を考えたい。しかしそのためには技術の修得と市場調査による販売見込み、設備内容の検討等を要するので、今後の課題としたい。なお現在、東京工場にあるCPエンボス並びにシリコンゴムロールの製造設備については目下検討中である。

(5) 労働条件 新設の加工会社に相応しい労働条件で出発すべきであると考える。従つて当社の労働条件をそのまま横すべりさせることは困難であり、当初の賃金は現状から約二割程度下らざるを得ないのではないかと苦慮しているが業績の向上に伴つて引上げていきたい。

4 人員の配置について

茨城工場及び本社への配転要員、新研究部門の要員並びに新会社の要員については、二月二八日付の「東京工場、研究部並びに開発工場の希望退職後の残り人員について」の別紙記載の通りであるが、できるだけ早く、貴方のご意向を承りたい。

5 残る人達の雇用保障について

残る人達の雇用保障については、二月二五日付の「東京工場、研究部並びに開発工場の希望退職後の残り人員の取扱いについて」の第一項に記載した事項に本社への配転も含めて実施する。」

組合はこの回答内容を不満とし、会社に対し再検討を迫つた。

(4) 三月一四日以降妥結に至るまでの交渉経過

三月一八日の団体交渉において、会社は三月一四日の回答内容を修正して回答した。修正箇所は数か所に亘つていたが、新会社における労働条件に関し、「各人の現行基準内賃金の二割に相当する額(税込)については、会社において、昭和四七年四月一日から昭和四九年三月末日までの二年間保障する」ことを明らかにした。これに対し組合は、「今迄の回答を総合的に検討した結果、不満なところはあるが、中労委のあつせんに基づく広い意味の雇用保障、その中にある組合員の雇用保障についてほぼ満たされたという判断に立つて、当時問題になつていた別会社方式による雇用保障については認めるという立場で組合員と相談していきたい。その結果、我々の今日の方針が支持されれば人選に入ることになると思うが、人選に当つては先月の二八日に会社腹案として出たものにこだわらず、組合の主張、本人の希望を最大限入れるよう努力して載きたい」との態度を表明した。

会社は、三月二三日付文書「新会社について」で、新会社の株主等新会社の内容を明らかにした。三月二四日の団体交渉で会社は新会社の労働条件について更に修正、追加回答し、組合は会社が個人面接することを認めた。個人面接は三月二七、二八日に組合の代表者立会のもとで行われた。面接では、各人の家庭の事情、研究所に対する考え方、配置先の希望等を主として聴取したが、個人面接の結果により、会社の前記人選の腹案を変更する特別事情を認めるべき者は一人もいないと判断した。

三月二八日の団体交渉で、個人面接による人選の結果を組合に示したところ、組合は、新会社の労働条件について不明確な部分があるとして、これについて更に交渉を続けることを文書で要求してきた。また人選結果については、組合として再度本人と話し合わねばならないので本日態度を表明できないとして会社の人選に対する態度を留保した。会社は、残り人員の取扱いをきめるため面接の了解を得て面接を実施し決定した、三月一八日の態度表明と本日の回答をもつて会社の最終的態度とすると主張し、さらに会社は三月三一日をもつて東京工場、研究部並びに開発工場を閉鎖したいので、三月三〇日午後本人に本日の回答内容を連絡し、掲示する予定であると主張したが、組合はあくまでも話し合いの続行を主張し、双方平行線のまま同日の団体交渉は終つた。三月二九日夕刻から翌三〇日にかけて団体交渉が行われたが、ここにおいて会社は、人事発令の数時間前にあつて、この時期を失すると不幸な結果になるという立場で譲りうる最大限の譲歩をするとして、次の通り態度を表明した。

「〈1〉会社は新会社の労働条件を低下せしめないよう努力するという立場で、四月一日以降新会社の労働条件のきめられていない点につき、新会社と新会社に行く社員の代表で構成する小委員会でひきつづき協議し、早急に取りきめたい。取りきめるまでの間、確認されていない事例が発生した場合には、その都度話し合いのうえ、新会社が実施していく。なお、新会社と新会社の社員で構成する小委員会の協議で、問題ある場合は東セロ労組と会社との話し合いになろう。〈2〉三月三一日閉鎖と四月一日配転発令、新会社への採用については、基本的に変更できないが、会社は本日午後発表予定のものを組合の検討、内部手続のすむまで数日間みあわせる。組合の決定をみたら遡及してやりたい。〈3〉(人選については)具体的にはさしひかえさせていただきたいが、会社は差別しているつもりは毛頭ない。もし差別していると組合がいわれるなら差別しているということを立証していただきたい。会社はそれに反論する。」

三月三〇日の団体交渉では結局、組合は東京工場閉鎖を認め、人選について、若干問題が残つているが、その人達については組合は条件付きで移籍してもらうという方向をとりたいと意向を表明し、会社は、閉鎖、人事発令については組合から意思表示があり、調印できるという段階で相談した上で発表すると約束した。四月五日の団体交渉の席上組合は、次の通り態度を表明した。

「〈1〉組合員と意見交換をし、全員投票の結果、中闘提案は投票数に対し八四・四パーセント、組合員数に対し七〇パーセント余の支持を得た。〈2〉組合は今回の問題にケジメをつけたい。東京工場、研究部並びに開発工場の閉鎖を認め、茨城工場、新研究部、本社並びに新トーセロ産業への配転、移籍を認める。〈3〉新トーセロ産業、茨城工場へ行く人について、納得のいかない人がいる。この人達については引続き交渉をして、本人が法的手段をとればやむをえないと思う。」

組合は、右の第三の点について文書で申し入れた。会社は、これに対し、残り人員の措置については充分協議をつくしたので申入れには応じられない旨を文書で回答した。

13 労使交渉の妥結と人事発令

かくして右四月五日、会社の再建をめぐる労使交渉は妥結し、同日、三月三一日付の協定書(二通)、確認書、覚書が作成、調印された。

協定書の一の内容は次のとおりである。

「〔1〕 会社は広い意味の雇用保障を前提に東京工場、研究部ならびに開発工場の残り人員の取扱いについて、次の通り実施する。

1 茨城工場および本社への配置転換

2 新研究所への配置転換

3 新会社への採用

4 他企業への就職あつせん

〔2〕 茨城工場及び本社への配置転換については次の通りとする。

1 配置転換先における業務内容

イ 茨城工場 加工(KS、KコートOP)OP、製品仕上、品質関係、管理関係及び建設関係業務

ロ 本社   総務、経理及び業務関係業務

2 配置転換時の条件

昭和四五年七月一日付「体質改善計画に伴う茨城工場並びに浜松工場への転勤に関する協定」の条件に準ずるものとする。

3 配置転換の時期

当分の間旧東京工場内で閉鎖に伴う残務整理業務に従事するものとするが、その進行状況およびOP二号機の建設状況等を勘案し、昭和四七年八月末日を目途に配置転換を完了するものとする。

〔3〕 新研究所については次の通りとする。

1 設置場所

茨城工場敷地内とする。

2 機構

本社機構の一環とする。

3 業務内容

以下の五グループとする。

イ 第一グループ 表面処理関係

ロ 第二グループ 溶融製膜関係

ハ 第三グループ 溶液製膜関係

ニ 第四グループ 各種フィルムの物性測定及び分析

ホ 第五グループ 電気、機械及び施設関係

4 配置転換時の条件

上記茨城工場及び本社への配置転換の場合と同じ取扱いとする。

5 勤務場所

新研究所完成まで当分の間旧東京工場内旧研究部において勤務するものとする。

〔4〕 新会社については次の通りとする。

1 会社の名称および設立の時期

「新トーセロ産業株式会社」とし、昭和四七年四月一日とする。

2 本社ならびに工場の設置場所

「埼玉県上尾市大字領家字山下一一七〇番地一」に設置する。

3 業務内容

イ ビニロンの製袋加工

東京地区におけるビニロンの拡販をはかるため、ビニロンの製袋加工機を設置し、その加工を行う。

ロ OP、CPの製袋加工

規格袋の製袋により、OP、CPの端尺品及び格外品の有効活用をはかるため、製袋機を設置し、その加工を行う。

ハ 三色印刷機一台及びスリッター三~四台を設置しその加工を行う。

ニ CPエンボス及びシリコンゴムロール製造設備各一式を設置し、各製品の製造を行う。

ホ 以上の各製品並びに仕入品の販売を行う。

上記業務のほか、第二次としてラミネート製品を検討する。

4 労働条件

会社は責任をもつて新会社の雇用の安定をはかり労働条件を低下せしめないよう努力する。具体的には別途協議する。

5 勤務場所

新工場完成まで当分の間旧東京工場内で勤務するものとする。

〔5〕 他企業への就職あつせんについて

退職を希望する者については、昭和四七年三月三一日付をもつて退職するものとし、爾後会社は就職あつせんを行う。

〔6〕 退職の条件について

新会社要員及び退職を希望する者に対しては、会社都合(甲表)による退職金(税込)に「東京工場、研究部並びに開発工場の希望退職の条件」の退職加給金(税込)並びに特別退職加給金(税込)を加えた額を支給する。

以上」

協定書の二の内容は次のとおりである。

「1 会社は東京工場、研究部並びに開発工場を昭和四七年三月三一日付をもつて閉鎖する。

2 本社、茨城工場並びに新研究所要員(別紙の通り)については、昭和四七年四月一日付をもつて、それぞれの部門への勤務を発令する。

3 新会社要員(別紙の通り)については昭和四七年三月三一日付をもつて会社を退職し、同年四月一日付をもつて新トーセロ産業株式会社へ入社する。

(別紙省略)

以上」

右別紙の内容は前記二月二八日付人選結果通知の内容と同一であり、選定者らはいずれも新会社要員とされた。

また、確認書において新会社における労働条件等についての合意が、覚書において「新会社における昭和四七年四月一日以降の各人の基準内賃金は同年三月末日現在の各人の基準内賃金の八〇パーセント相当額を新会社が支払い、残りの二〇パーセントに相当する額については会社が昭和四九年三月末日までの二年間保障するものとする。なお昭和四九年四月一日以降の各人の基準内賃金は新会社において一〇〇パーセントとするよう最大限努力するものとする。」旨の合意がなされた。

会社は、昭和四七年四月七日に至り、残り人員の取り扱いに関し人事発令した。選定者らを含む新会社要員については、四月一日付で新会社に採用されることにより会社を退職とする旨が発令をした。

(三)  本件合理化の必要性及び会社の態度について

以上のように、会社は第八二期以降大巾な赤字を積み重ね、昭和四六年五月には会社の将来につき警戒を強めた金融機関が運転資金の融資を断るに至つたので、ここにおいて会社の命運は事実上尽きたというべきであつた。通常であれば、この段階で支払手形の不渡を招き、銀行からの取引の停止、債権者の担保権の実行となるところであつたが、会社は幸いにも大株主からの緊急融資を受けることができたので当面の危機を脱し、ついで三井石油化学株式会社の資本参加を得て抜本的な再建はとりくむことになつたのである。従つて合理化のさし迫つた緊急性があつたということができる。そして、再建計画の立案にあたつて、会社の経営努力による施策は別として、東京工場及び同工場内にある研究部、開発工場の閉鎖を柱とせざるを得なかつた理由も前述の通りであるが、簡単にいえば東京工場については将来いかにしても黒字に転化する見通しを立てることが困難であつたし、立地条件的にみても公害関係や地下水の規制の面で、東京二三区内でセロフアン工場を維持することの難しいことは容易に理解できる。さらに、研究部、開発工場の閉鎖は当面研究開発どころではないという会社の緊迫した状況に照らせば、これらが閉鎖を免れない東京工場内にあつたことでもあり当然問題とされることであるが、製造会社を続けていく以上、いずれは研究部門の再開は考えなければならないので、交渉を進める中で検討を重ねた結果、研究部、開発工場の代わりに現場に密着した小規模の新研究所を茨城工場内に再発足させることとした。会社の設定したこれらの再建施策が何ら不合理でもなく、不自然でもないことに会社再建に関する労使交渉のやりとりを概観しても十分窺い得るところである。

会社の再建を目指して行われる合理化施策は大なり小なり従業員の犠牲を伴うものであるが、会社はこの点に十分留意して、労働組合と十分話し合い、誠意を尽して事に当つてきた。会社はこの一連の合理化を実施するに際し、危急存亡の事態に直面していたにも拘らず、組合と事前に相談することなく、あるいは組合の意に反して従業員の生活に係わる施策を強行したことは唯の一度もなかつた。これは労使の力関係だけの問題ではなく、会社の経営陣があくまでも話し合いによる解決をのぞみ、そのためには、時間と労力を惜しまないという基本姿勢を最後まで崩さなかつたことにより、はじめてなしえたことであつた。一般に世間でみられるこの種の紛争に比較し、これほど会社側が誠意をつくして組合と話し合つた例は先ずないといつてよく、会社のこのような基本的な態度は大いに評価されるべきである。

(四)  研究部門における人選の経過及びその正当性

1 新研究体制の要員枠決定

従来会社における研究開発・試作業務は、研究部と開発工場が担当していたが、これに要する費用は年間一億五、〇〇〇万円(第八二、八三期・昭和四五年五月~四六年四月営業期現在)に達し、このままの状況に推移すれば第八四期(昭和四六年五月~一〇月営業期)以降には年間約二億円になると見込まれた。これは会社程度の規模、経営状況からみて余りに過大な経費負担となつていた。前記のように、新研究体制については希望退職後の残り人員の中から適任者を選び、茨城工場敷地内に少数精鋭主義の現場に密着した新研究所として会社にふさわしい規模で再出発することになつたのであるが、新研究体制の規模については、会社の研究開発体制の規模が世間一般に比べてどのようになつているかを検討した結果、売上高に占める研究技術費の比率は総理府統計局の「科学技術研究調査報告(昭和四五年)」によれば、全産業の規模計で一・一四パーセント、従業員の規模三〇〇人から九九九人で〇・八六パーセント、製造業でみると規模計で一・二九パーセント、三〇〇人から九九九人で〇・九一パーセント、一、〇〇〇人から二、九九九人の規模で〇・九二パーセントであつた。会社の場合第八二、八三期(昭和四五年五月~昭和四六年四月営業期)でみると、当社品の売上高に対しては二・八六パーセントにも及び非常に割高になつていることが明らかになつた。これらの事情を勘案し、当面新研究体制の規模については製造業のうち会社程度の従業員規模の平均である一パーセント程度の費用でまかなうことにした。会社の売上高の一パーセント程度は年間約一億円、半期(六ケ月)約五、〇〇〇万円となり、この研究技術費の枠の中でどの程度の人員を抱えることができるかを検討した。すなわち、次の表の如く第八二、八三期(昭和四五年五月~四六年四月)の実績を基礎として検討した結果、経費の中の不動産賃借料、租税公課、減価償却費等の管理不能費については、どうしても一、三〇〇万円程度は必要であり、管理可能費は大きく分けて試作費と一般経費に分れるが、試作費とは研究部門の活動の中で開発試作段階のものを作る費用で、具体的には合成樹脂、ベースになるフィルム、塗料原料、溶剤等の費用であり研究開発活動の一つの柱となる費用である。これについては第八二期(昭和四五年五月~一〇月営業期)の実績一、二〇〇万円を目安にして研究関係者の意見も徴し、最低限約一、〇〇〇万円は必要であると考えた。一般経費については個別に検討し、従業の実績の約三分の一を削減し七〇〇万円に圧縮した。以上の如く経費中の管理不能費を一、三〇〇万円、管理可能費を一、七〇〇万円と見積もると、労務費として残される財源は約二、〇〇〇万円とならざるをえない。これを昭和四六年昇給後の第八四期(昭和四六年五月~一〇月)の研究部一人当り労務費実績八〇万四、〇〇〇円で割ると約二五名という新研究所の人員枠が出てきたのである。このように新研究所要員としては二五名程度を残し他は希望退職又は新会社へ移籍するものとした。

新研究体制費用見積計算(金額単位は千円)

第八二、八三期

(四五年五月から四六年四月)

新研究体制の構想

第八二期

第八三期

金額

備考

経費

管理不能費

地代、租税、償却費等

一三、八〇六

一三、一四八

一三、〇〇〇

管理可能費

試作費

一二、八一八

三、二七七

一〇、〇〇〇

一般経費

一一、八二八

一〇、六七四

七、〇〇〇

約三分の一削減

三〇、〇〇〇

労務費

四〇、六一五

五〇、二二〇

二〇、〇〇〇

人員約二五名

合計

七九、〇六七

七七、三一九

五〇、〇〇〇

新研究体制における一人期当り労務費の推定(金額単位は千円)

賃金

福利費

賞与金

退職金

合計

実績

見積額

第八四期実績

(四六年五月~一〇月)

四九四

七三

(二九)

一四二

九五

八〇四

2 新研究所の人選

(1) 新研究所の人数枠については長以下二五名程度と従来の半分以下の規模に縮小されることになつた。そこで、人員の縮小に伴つて、研究内容は特に研究すべき問題点が多く、且つ製品としての将来性も豊かなKOP、OP、CPに重点がおかれることになつたが、研究のグループ分け自体は従来の研究部の歴史の流れを引き継いだものとなつた。新研究所のグループ分けは次のとおりである。

第一グループ 表面処理関係 KOPが中心

第二グループ 溶融製膜関係 CP、OPが中心

第三グループ 溶液製膜関係

第四グループ 応用研究

第五グループ 電気機械等施設関係 茨城工場OP二号機建設が中心

(2) 会社は中労委斡旋案に従つて、前記のとおり昭和四七年二月五日から同月二〇日まで希望退職者を募集したのであるが、研究部と開発工場における結果は次のとおりであつた。

(研究部) 退職募集前の人員 希望退職者 残り人員

管理職      八名     〇名    八名

顧問       一      〇     一

一般職     四四     二〇    二四

(小計)    (五三)   (二〇)  (三三)

(開発工場)退職募集前の人員 希望退職者 残り人員

管理職      一      〇     一

一般職     一二      八     四

(小計)    (一三)    (八)   (五)

合計       六六     二八    三八

その結果人選の対象者となつたのは研究部、開発工場における希望退職後の残り人員三八名(管理職九名、顧問一名、一般職二八名)であるが、このうち管理職九名は後述のとおり原則的に残す方針であり、顧問一名も専売公社担当で残さざるを得ず、一般職については第五グループのうち現にOP二号機の建設にあたつている者九名は自動的に残すことにしたので、実質的に比較対象したのは一般職の残り一九名であつた。

(3) 昭和四七年二月二五日頃、当時の中村研究部長は、再建担当の加藤常務より新研究所要員の決定を命ぜられ、同日、当時先任課長であつた松村開発工場長を呼び残り人員三八名の中から二五名以内で新研究所要員につきグループ毎に人選を行いたいので協力してほしいと指示し、同日中村研究部長、松村開発工場長、研究部大山課長、同叶田課長が人選に当つた。人選の作業の中心となつたのはキャリアからいつても最も古く、且つ巾広く各分野と関つてきた松村開発工場長であつた。人選は各人の経歴および実績によつて行つた。潜在能力を含めた能力比較はどうしても評価する者の主観に頼らざるを得ないことになるので実際的でない。そこで第一次的には客観的に資料によつて確定しうる経歴と研究実績によつて比較し、そこでも甲乙つけ難い時に初めて能力評価を含めた総合比較によつて決した。資料は経歴については経歴書、研究実績については原則として月一回提出される研究月報であつた。研究月報は概ね一頁内外で表題がついており、表題をみれば研究実績の流れは分るようになつている。その他研究レポートも必要に応じて参照したが、レポートは年に数回提出される程度で数としては多くない。人選に当つては先ず残り人員各人の研究分野を基準にグループ分けを行つた。次に各グループ毎にテーマを設定し、各人の研究歴に照してどのテーマにつき残留候補者となり得るのかを決定した。人員枠に全く余裕がないので一テーマ一名を残すことにし、管理職についてもグループ毎の責任者的立場に立つとしても、従来の如く監督者として広く全体をみるのではなく自らもテーマを担当することにした。すなわち、第五グループを除き、研究テーマはおよそ一四、五程度と考えられ第五グループの茨城工場OP二号機建設要員は九名必要であるほか、所長、顧問等のスタッフ部門に二、三名が予定されていたから、新研究所の人員枠を長以下二五名とすると、必然的に一テーマ一名となるのである。人選に当つて次の諸点に留意した。〈1〉管理職を重視すること、〈2〉研究部員の技術、専攻科目を重視すること、〈3〉PP関係を重視すること(PPとは将来会社の製品として期待が持たれているプラスチックフィルムのことで、これは未解決の分野が多く今後の研究課題も多いので特に力を入れる必要がある。)、〈4〉茨城工場のOP二号機の建設要員を重視すること(茨城工場にOP二号機が現に建設中であり、OPについては社運をかけて多額の投資がなされている段階であつたことを背景としている。)の四点である。

(4) グループ並びに研究テーマの設定について

グループの設定は従来の研究部におけるグループ分けを概ね踏襲したものであることは前記の通りであるが、その基本的な考え方は次のとおりである。フィルムの製造方法との関連で、まず溶融製膜(第二グループ)と溶液製膜(第三グループ)とに分れるが、これらはいずれも基材そのものの性質を改良することを研究課題としており、これらに対し、基材の上に何かコーテイングして新しい性質をもつフィルム例えばKコートOPを作る研究をするのが表面処理(第一グループ)である。第四、第五グループはこれらとは若干趣きを異にし、対顧客との関係(第四グループ、応用研究)、対製造現場との関係(第五グループ、電気機械及び施設関係)である。

第一グループは当面、会社の有望な商品であるし研究課題も多いKコートOPを中心に考えた。そこで第一テーマとしてフィルムの上に塗るもの、即ちポリ塩化ビニリデンのエマルジョン重合物(K)の研究が最重要であつた。次に重合物と基材を結びつけるアンカー剤の研究を第二テーマとして必要とし、第三テーマとしてフィルムの滑性をよくするためにフィルムの上に塗布するスリップ剤の研究が必要であつた。そして研究テーマではないが、分析、物性測定を専門に担当する者を一名残すこととした。これは従来人員に余裕があつた時は一テーマに数人が共同して取り組むことができたので、研究員が自分で分析、測定まで担当することが可能であつたのに対し、今後は一テーマ一名に人員が縮小されることになつたので従来どおり研究員に分析、測定までやらせると負担がかかりすぎるため、その妥協策として研究課題が多く、分析、測定業務の多いKOP(第一グループ)、OP、CP関係(第二グループ)にそれぞれ専門の担当者一名を置くことにしたものである。

第二グループはCP、OPを中心に研究テーマを設定した。CPはポリプロピレンを単に隙間から押し出すことによつてフィルムにするものでOPほど用途も広くなく研究課題も多くないのでCP全般を第一テーマとしてCPの研究とした。次にOPについては、CPを二軸に延伸して物性を改良したもので、茨城工場ではOP一号機が既に稼動し二号機が建設中であり会社としては大いに力をいれていたフィルムであつた。そこで当面茨城工場のOP二号機の建設および運転指導が極めて重要な課題であつたのでこれを第二テーマとした。次にOPの表面に放電させて表面に凹凸を生ぜしめ接着性を高めるコロナ処理の研究も必要であるのでこれを第三テーマとし、OP基材に添加剤を混練して品質改良するのを第四テーマとした。それ以外に、テーマではないが分析、物性測定要員を一名残すことにしたのは既述のとおりである。

第三グループはセロフアンに一名、ビニロンに一名、特殊フィルムに一名合計三名を残した。なお、セロフアン自体は既に研究しつくされているが、新たな問題として製造工程における一次公害の問題があるため、会社としても浜松工場において莫大な公害投資を余儀なくされこの処理を誤ると重大な結果を招くことが懸念されていたことから、セロフアンの専門家を一人残すことにしたものである。

第四グループは第一テーマとして会社の製品の用途開発、第二テーマとしてクレーム処理等販売応援を設定した。第五グループは茨城工場OP二号機建設を主目的とするグループであるので、その関係者をそのまま残すことにした。

(5) 各グループ、テーマへの対象者の振り分けと人選

各人の経歴、研究歴は別表記載のとおりであつた。

第一グループで選考の対象となつたのは大山透、木下不二男、中村敏、佐々木正哉、石田正敏(選定者)、鈴木藤夫(同)、小原敏秀(同)の七名で、各人の研究経歴に照らしテーマ毎に候補をあげて経歴、研究実績を比較して選考した。第一テーマのポリ塩化ビニリデンのエマルジョン重合の研究について候補となつたのは、大山、木下、小原の三名であり、このうち最も研究歴の長くいわば草分け的存在であつた大山が選ばれた。第二テーマのアンカー剤の研究について候補となつたのは、木下、中村、石田の三名であり、このうち研究歴が最も長く、またポリ塩化ビニリデンのエマルジョン重合の研究も十分に経験してきた木下が選ばれた。第三テーマのスリップ剤の研究について候補となつたのは、中村、鈴木の二名であり、このうちこの領域における経験年数が長く、ビニロンデラックスのスリップ剤の研究についても顕著な実績をあげているので中村が選ばれた。なお中村は人選当時第三グループに属していたが、担当していた業務はビニロンのスリップで、フィルムの表面にスリップ剤を塗布するものであつたから、仕事の性質からみて明らかに表面処理(第一グループ)に属していたし、同人のスリップ研究の実績と当時KOPのスリップが重要な課題であつたため、第一グループのスリップ研究の候補とした。分析、物性測定については、当時KOPの最も大切な物性であるバリヤ性の測定に習熟しており、実際に測定に従事していた佐々木が選ばれた。分析、物性測定は地味な仕事であり、仕事の精度が要求されるが、佐々木は性格的に適格であつた。

第二グループで選考の対象となつたのは、叶田幹雄、笹山進、三品紀年、武井正英、相馬孝一郎、入江芳夫(選定者)の六名で、各人の研究経歴に照し、テーマ毎に候補をあげて能力実績を比較して選考した。第一テーマのCPの研究について候補となつたのは、笹山、相馬、入江の三名であるが、研究経歴が圧倒的に長く、実績もあげている笹山が選ばれた。第二テーマの茨城工場OP二号機の運転指導については、第二グループのキャップであり課長である叶田が選ばれた。同人はOP一号機の稼動時にも責任者として全般の指導に当つていたもので、他に比較すべき者はいなかつた。第三テーマのコロナ処理については、三品以外の者は担当していなかつたので同人が選ばれた。第四テーマの混練については、当時武井が従事しており、唯一の経験者であつたので、同人が選ばれた。分析、物性測定については、相馬と入江が候補となつたが入江はCPエンボスや研究部所属のOP試験機の運転要員としての性格が強いのに対し、相馬はCP、CPの一軸延伸、ナイロンその他の合成樹脂の物性に関する研究を続けており、性格的にも適格であつたので同人が選ばれた。

第三グループで選考の対象となつたのは飯島荘資、郡成好、松下哲郎、鳥羽明彦の四名で、選考の結果セロフアン関係に松下、ビニロン関係に郡、特殊フィルム関係は飯島がそれぞれ選ばれた。

第四グループは第一テーマの会社製品の用途開発については玉井博幸、第二テーマのクレーム処理等販売応援については中山不覊が選ばれた。なお、玉井は人選当時第三グループに属していたが、第四グループは希望退職後中山一名しか残らず、業務の遂行には最低限二名が必要であつたので、玉井の巾広い知識(第一グループでの経験約七年、第三グループでの経験約一年半)と研究熱心な性格を考慮して、第四グループとして人選した。

第五グループは電気、機械及び施設関係であるが、人選当時茨城工場では新鋭のOP二号機を建設中で、これを計画通り完成させることが会社の再建にとつて重要な課題であつた。そこで第五グループについてはこれ一本をテーマとして、当時建設要員として業務に従事していた山崎旭、横内良知、菊池譲の各課長及び福田宏、高橋勲、原田勝義、角田賢一、富野井邦忠、広井勇の九名をそのまま残した。

(6) 選定者ら四名が人選に洩れた個別的理由

小原は別表の経歴からみて第一グループの第一テーマであるポリ塩化ビニリデンのエルマジョン重合の研究以外に候補とすべきテーマはないところ、大山はエルマジョン重合の研究について最も知識が深く経験が長く、いわば重合研究の草分け的存在であつたから、小原の二年そこそこの重合での研究歴では大山の経歴に比肩しえない。原告は、大山は小原の研究部配属以来(昭和四四年七月以来)指導はするが自らの手で実験をやつたことはなく、昭和四六年初め以降重合の仕事は小原一人で担当していたと主張する。しかし、重合の研究は昭和四三年に玉井の手によつて始められ、しかもそれは大山が玉井を指導して研究に当らせたものであり、昭和四四年一月から木下が、同七月から小原が加わり、四五年二月に研究部内に五〇リットルの中間プラントが設置され、大山の指導の下に玉井がこれを担当し、四五年九月に茨城工場に一トンの重合設備本機が設置され、玉井が現場指導、技術指導を行い、四六年初めに玉井が健康上の都合で技術指導をやめ、代わりに大山が現場の技術指導に行つたのであり、小原自身も研究部配属以来大山の指導を受けて来た者である。以上によれば、大山が重合研究の草分け的存在であり、後進を指導し自らも茨城工場の本機の技術指導を行う実力の持主であることは明らかであり、会社が第一グループの第一テーマである重合の研究について大山を選んだことは全く正当である。

石田はアンカー剤の研究について候補とされたが、木下は研究歴が別表のように最も長く、また、ポリ塩化ビニリデンのエルマジョン重合の研究にも十分な経験を有している木下が選ばれたのである。原告は、石田が木下と比較されたことについて、石田は人選当時粘着剤の研究を担当しており、木下は開発工場の品質管理を担当していたので、アンカー剤の研究というテーマで比較するのは当を得ないと主張するが、研究歴によれば両名をアンカー剤の研究において比較するのはいささかも不自然ではなく、石田はあくまで粘着剤研究の一環として行つたとはいえ、昭和四六年二月から四月、同年一一月、一二月に粘着剤をKOPのアンカーに使う研究に従事していたのである。原告は、さらに、人選当時木下の担当していた開発工場の品質管理は他の工場の品質管理と同様に製品品質の安定化、品質改良が主たる内容であり、製品の根本的改良を内容とする研究業務と質的に異なり、同人は研究業務を離れていたものであると主張する。しかし、木下は四六年一月より約一年間開発工場の品質管理業務を担当していたが、開発工場は他の製造工場とは異なり、組織的にも研究部長の管轄下にあり、新製品開発のための中間実験を行うところであつて、原告の主張するような一般の製造工場とは性格が異なる。昭和四六年六月一六日付木下の研究レポートをみると、KOPで最も重要とされるものの一つであるエルマジョン重合の処方を決定しており、これは研究業務以外の何物でもない。原告は、また、木下がポリ塩化ビニリデンのエルマジョン重合の研究経歴を併せ持つことを同人選択の一理由としている点について、KOPのアンカーの研究について重合の研究は直接の関係はないから、重合を知つていることで木下が石田、中村より有利とはいえないと主張するが、アンカーとはOPフィルム等の基材と重合体を結びつけることであつて、アンカーの研究にとつて、結びつけられる重合体についての知識があり、研究経験を持つほうが有利であることは自明であつて原告の主張は根拠がない。

鈴木はスリップ剤の研究について中村とともに候補とされたが、両名の履歴および研究歴を比較すると別表のように中村が優れていることは明らかである(鈴木は元来研究員として採用されたのではなく、入社後三年間現場作業に従事していた)。原告は、中村の担当していたビニロンのスリップの研究は第三グループのもので第一グループの研究対象であるKOPの表面処理とは関係がないと主張するが、同人は入社以来八年の研究経歴の中で主として第一グループの研究を行つているうえ、人選当時の担当についても、フィルムに滑りやすい性質を与えるには、ベースになる基材、例えばOP、ビニロンフィルム等に何かを混ぜたり、または基材の上に滑り易いものをコーテイングするという二つの方法があるところ、中村が行つていたビニロンフィルムのスリップ研究というのはコーテイングによるスリップの改良であり、第一グループのKコートOPのスリップ研究もまたコーテイングによるスリップの改良であるから、共通性がある。

入江は第二グループ第一テーマであるCP関係の研究について笹山、相馬とともに候補になつたが、笹山が圧倒的に長い経験を持ち技術も優秀であるので同人が選ばれた。第二グループの分析、物性測定についても入江は相馬とともに候補となつたが、入江はもともと現場の作業員であつて研究員ではなく、研究部に来てからもCPエンポスや研究部所属のOP試験機の運転要員としての性格が強かつたのに対し、相馬はCP、CP一軸延伸、ナイロンその他合成樹脂の物性に関する研究を続けており、また昭和四六年三月に工学院大学専修学校(短大相当)工業化学科を卒業するという勉強熱心なところがあり、性格としても適性であるので相馬が選ばれたのである。原告は、入江が昭和四四年一月から四七年三月まで一貫してOP延伸業務に従事し、OPの研究を行つてきたと主張するが、その業務は具体的には研究部所属のOP試験機を運転して、本機をうまく動かすためのスピード温度条件等を探り出すというものであつて、この実験を企画、立案して実験の指揮をとつたのは河野であり、河野ないし延伸グループの研究月報はすべて河野が作成したもので、入江は研究月報の作成に何等関与していない。同人は、主としてOP試験機の運転要員として業務を行つてきたにすぎないのである。

(五)  以上の理由により、会社の旧研究部に所属していた選定者ら四名を新研究所要員として配置することができないため、やむなく新会社要員とし、前記のとおり昭和四七年四月七日に同月一日付をもつて、新会社に採用されることにより会社を退職する旨の発令、即ち本件解雇の意思表示をしたものであり、これは会社の就業規則三二条二号の「事業の縮小その他会社が必要と認めた時」に該当するものである。なお、会社は右解雇にあたり予告手当の提供はしないが、即時解雇に固執するものではない。

四  抗弁に対する答弁

(一)  抗弁(一)のうち、会社が昭和四七年四月一日選定者らに対し就業規則三二条二号に基づき解雇の意思表示をしたことは認める。同(二)、1は認める。同(二)、2については赤字が計上されたことのみ認め、その余は不知。同(二)、3は不知。同(二)、4は不知。同(二)、5については、経営陣の交替と増資のあつたことは認め、その余は不知。同(二)、6については、「会社の現況ならびに再建案の骨子」にそのような記載があり、これが組合に提示されたことは認めるが、その記載内容が事実であつたかについては不知。同(二)、7については組合が再建案の作成、合理化協定遵守の要求をしたことは認めるが、その余は不知、組合は会社事業の拡大発展のためのねり直しを要求したものである。同(二)、8については、九月二九日に〈1〉ないし〈6〉の申し入れがあつたことは認め、その余は不知。同(二)、9は争う。同(二)、10については、中労委に斡旋を申請したこと、斡旋案の提示がされたこと、斡旋案の内容、斡旋案を受諾したことは認め、その余は争う。同(二)、11については認める。同(二)、12については、主張の内容の会社の二月二五日の文書回答があつたこと、主張の内容の会社の三月一四日の文書回答のあつたことは認め、その余は争う。同(二)、13については認める。同(三)は争う。同(四)は争う。

(二)  本件合理化理由の不存在

会社は第一次合理化計画により東京工場を発展させ研究部を充実していくことを約したが、これを遵守せず同工場を閉鎖すべく経営活動を行つてきたもので、閉鎖理由として主張するところはすべて欺瞞に満ちている。被告主張のように会社の業績が悪化したとすればそれは無責任な経営によるものである。特に本件とかかわりのある研究開発費についていえば、会社ではずさんな計画に基づき研究、開発が驚くほど急ピッチで無理押しに進められたのであるから、そのために費用がかさむのは当然である。三井石油化学は昭和四六年八月七日会社従業員の研究成果である各種資料を持出してこれを入手したため会社の研究部、開発工場が不要であるといい出したのである。また、八二期、八三期において経常利益に赤字を計上しているとはいえ、各種引当金、準備金を取崩さず、八三期には約二億円の当期増価額を計上し、地価再評価もせず、累積赤字もないから、会社は人員整理のために赤字決算をしているといわざるを得ない。

(三)  研究部門における人選経過及び正当性に対する反論

1 要員枠決定についての不合理性

被告は、会社の従来の研究開発費が過大であつたため、これを製造業一般における研究体制規模にならい推計した結果、新研究所要員の枠を二五名と設定したと主張するが、そうとすれば右要員枠は、純粋な研究業務に携わる人員の枠と考えなければならない。しかるに会社は人選においてまず第五グループ要員として九名を優先的に人選したとする。

しかしながら右九名のうち〈a〉三名(横内、山崎、高橋)は従前から研究部に在籍し本来的研究業務に従事する者であるが、〈b〉うち一名(福田)は昭和四六年四月の組織変更による本社施設部の研究部への統合に伴い研究部に移籍した者であり、〈c〉うち五名(菊地、広井、原田、角田、富野井)は昭和四五年一二月東京工場のセロフアン部門廃止に伴う東京工場工務課設計係の本社施設技術部への統合により同部に移籍し、次いで右〈b〉の統合に伴い研究部に移籍した者である。そして右〈b〉〈c〉の者の担当業務は、茨城工場に設置する生産機械設備(OP二号機)の設計、建設業務であり、これは研究部に移籍する前と後とで変らなかつたのであつて、本来の研究業務でないものを、組織上の都合で過渡的に研究部に統合して担当させていたのにすぎない。それ故に、新研究所発足後OP二号機が完成して過渡的業務が終ると、右〈c〉の四名(五名中富野井はその前に退職した。)は昭和四八年二月に茨城工場工務課設計係設置と共に同所に配属されたのであり、このことは本件人選当時から予測されていたことであつた。即ち、第五グループ要員のうち少くとも〈c〉の五名は(〈b〉の一名も同様であるが、これは現在も研究部に在籍しているから一応措く。)本来の研究業務ではなくしかも早晩研究部門から切り離されることの予定された過渡的業務に従事していた者であるから、これを組織上新研究所に位置づけることは会社の自由であるとしても、会社主張のようにして定めた新研究所要員の枠からは除外して考えるべきものである。

次に、被告は、研究開発費を製造業一般並みにすると会社の場合年間一億円、半期五、〇〇〇万円とすべきものとし、これを基礎に以下の論を進めているところ、原告としてもこれを約一億円とすること自体は首肯しえないではないが、被告の理論に従つて会社の八二期ないし八四期の総売上高と該当年度における会社と同規模の製造業における平均的研究費比率から推計すると、約一億円とは正確には一億一、〇〇〇万ないし二、〇〇〇万円となるはずである。そして研究費を年間一、〇〇〇万円増額すると、推計によれば約四名の増員ができるから、研究費一億一、〇〇〇万ないし二、〇〇〇万円ということは、会社の手法によれば二九ないし三二名の人員枠を設定できるのである。

以上の二点を考慮すると、研究部の残り人員三三名から右〈c〉の五名、〈c〉に属し新会社要員とされた一名(江尻)、新会社を希望し新会社に配置された一名(飯田)を除くと実質的残り人員は二六名であり、これに松村開発工場長を新研究所要員に組入れることを許容して加えても二七名であるから、その全員を新研究所要員としてなお余裕があることになり、選定者らを排除すべき理由はないことになるのである。

このことは次の事実からも明らかである。即ち、会社は当初東京工場、研究部、開発工場において希望退職募集に応ずるものが約一〇〇名と予測し、残りの右三部門の従業員一五〇ないし一六〇名につき六五名程度を新会社採用とし九〇名程度を茨城工場を主とする社内配転でまかなうことを予定していたところ、希望退職者が一六五名に達し、残り人員は選定者らを含め六二名に過ぎなかつた。従つて、当初の予定どおり社内配転が行われれば、選定者らは解雇されることはなかつたはずである。

2 被告主張の人選経過の不合理性

被告は、新研究体制を五グループに分け、昭和四七年二月二五日の一日をもつて、中村研究部長、松村開発工場長、大山、叶田両研究部課長がテーマの設定、人選対象者の経歴、研究実績等の検討、これに基づくテーマ毎の人選を行つたと主張するが、これについて次のような矛盾点が指摘できる。

(1) 人選対象者全員の経歴、研究実績を知るため各人の研究月報ないし研究レポートをみることは一日ではとうてい不可能である。

(2) 中村研究部長は、同年四月八日の選定者らとの接渉において、同部長は人選に関与していない、新研究所において誰が何を担当するかはまだ決つていないと述べている。

(3) 人選内容は右二月二五日より以前に既に決定されていたと認めるべき証拠が存在する。

(4) 被告は、右人選の中心は松村であつたと主張するが、同人は入社当初の四年間を除き工事現場に在籍していて研究部に在籍していなかつたこと及び同人は本件合理化に関する団体交渉にも、本件人選決定直前の人選対象者との面接にも関与していなかつたことからみて、被告主張の如き人選には不適任であり、これをよくなしうる立場にもなかつた。

(5) 被告は最終的に、新研究所要員の人選は経歴及び研究実績により行い、それで決定できないときに能力評価を加えたが、選定者らに関する限り右第一次的考察で十分であつたと主張するものの、人選当時の担当テーマを重視したのかどうか、及び選定者らの能力を考慮したのかどうかについて、その主張及び松村証言に変遷があつて帰一するところがない。

(6) 会社は、昭和四六年一二月二日の団体交渉の席上、新研究体制は長以下二〇~二五名、一般職一九~二〇名と述べたが、その内容は五つのグループ毎に長以下四~五名という腹案であつた。そうすると第一ないし第四グループの一般職は一五~一七名を予定したことが窺える。しかるに松村らが人選したという結果は第五グループに九名(管理職三名、一般職六名)を当てこのため第一ないし第四グループの一般職は一一名となつているのであつて、この結果は明らかに会社の腹案と矛盾し不合理なものである。

(7) 被告主張の人選当日の二月二五日付会社回答によると、第一グループの研究テーマは「KOP関係、離型フィルム等」とされているのに、被告の主張する人選においてはこの「離型フィルム等」が全く考慮されていない。離型フィルムの担当者は選定者石田が唯一人であり、離型フィルムが一研究テーマであるなら、これに同人が当てられねばならないはずであつた。

(8) 会社は、第三グループの一テーマとしてセロフアン関係を設定した、セロフアンは当時既に研究しつくされていたが、その製造工程における公害の研究のためセロフアンの専門家を一人残すことにしたと主張するが、公害担当業務とセロフアンの研究とは本来無関係の分野であり、公害担当者を残すなら当時の研究員にはその経験者がなく、全員がその候補者となるべきものである。

(9) 同年二月二五日及び三月一四日付会社の回答によると、第四グループのテーマは「各種フィルム物性測定及び分析」となつているのに、被告主張の人選においては、第四グループのテーマは「応用研究」となり、物性測定等は第一、第二グループの各一テーマと設定していて、その間に矛盾がある。

(10) 会社は右のとおり物性測定等を第一、第二グループの一テーマとしているが、本来研究業務はテーマ担当者が自ら測定等をしながら進めるべきもので、これだけを切り離して行うべきものではなく、右テーマ設定は選定者らより経験、能力の低い佐々木、相馬を残す方便の疑いが強い。

(11) 会社は人選につき従業員の希望を尊重すると約しながら、結局これを無視している。従業員の希望に従つた人選を行えば、選定者らは新研究所に人選されたはずである。

以上のような矛盾点に、次項に述べる選定者らに関する個別的人選理由の不合理性を綜合して考えると、本件の人選は二月二五日に中村や松村らによつてなされたものではなく、また被告主張の如きテーマの設定、これへの人選対象者の当てはめといつた作業は、本件訴訟提起の後に考えられたものであつて、選定者らの排除はかかるテーマや経歴、研究実績とは関りのない不合理な理由により決定されたものと考えるべきである。

3 選定者らに関する個別的人選理由の不合理性

(1) 小原について

会社は、第一グループの重合のテーマ担当者として大山を人選している。しかしながら、小原は入社以来一貫して重合研究を行つてきており、人選当時唯一の重合を担当していた研究員であつたのに対し、大山課長は、およそ重合などやつておらず、第一グループの統括者で統括業務及び指導は行つていたものの自ら重合はじめ他のテーマをもつて研究及び実験は行つていなかつたのであり、また新研究所においても統括業務に当り、自ら重合研究を担当してはいないのであるから、小原を大山と比較したことは失当である。

(2) 石田について

会社は、第一グループのアンカーのテーマ担当者として石田と木下とを比較し、木下を人選している。しかし、人選当時の業務の点からいえば、石田は粘着剤の研究を行い、木下は開発工場で品質管理を担当していたのであるから、アンカー剤の研究で両人を比較すること自体がおかしいし、木下の人選当時、行つていた開発工場の品質管理業務とは、製品の根本的改良を目的とする研究業務と異り、製品の品質安定、部分的改良を目的とするものであり、要するに木下は当時研究業務を担当していたとはいえない。さらに会社は木下がアンカー以外にポリ塩化ビニリデンのエルマジョン重合の研究歴を持つことを人選の理由としているが、KOPのアンカーの研究について重合の研究は直接の関係がないから、かかる理由付けは失当である。

(3) 鈴木について

会社は、第一グループのスリップのテーマ担当者として中村と鈴木とを比較して中村を人選した。しかし、中村の担当していたスリップの研究は、第三グループの業務であるビニロンのスリップであつて、第一グループの研究対象であるKOPとはおよそ関係がない。中村の右研究が、ビニロンにスリップ剤を塗ること、即ち表面に処理をほどこすことではあつても、それは本質的に単なるビニロンの改質、即ちビニロンをいかに扱いやすく、実用的にするかという研究でしかなく、これをKOPの表面処理と一諸にして研究するというようなことは、会社の研究体制と相容れないものである。従つてKOPのスリップ担当者としては、その経験のある鈴木ないし石田を人選するのが合理的である。

(4) 入江について

会社は、入江を第二グループの第一テーマCP関係で笹山、相馬と比較しているが、入江は、CPについての経験がない訳ではないが、OPの経験三年三か月に比べて、CPはわずか九か月しかやつていないのであるから、この比較は作為的である。また第二テーマのOP関係において入江を候補者とせず、無条件で叶田をOP運転指導にあてているが、入江は昭和四四年一月から昭和四七年三月まで一貫してOP延伸業務に従事していたのに比べ、叶田はOPの延伸研究開始の一年半後に加わつてきて、入江を含めた従来からの担当者に教わつたのである。また茨城工場のOPの現場ではやがて作業員補充の必要性があつたのであるから、仮りに入江を新研究所要員とすることができないのならば、同人をそこに配転して右の経験を生かす途もあつたはずである。

五  再抗弁

(一)  本件解雇は、選定者らの正当な組合活動を嫌い、新会社の設立を期に同人らを企業外に排除するためになされたものであつて、労働組合法七条一号の不利益取扱いに該当するものとして無効である。

1 選定者らの組合役職歴等

鈴木藤夫は、昭和三七年三月都立化学工業高等学校を卒業、同年四月入社後、同年一〇月組合に加入、三九年一〇月より一年間東京支部青婦部職場幹事、四〇年一〇月より一年間東京支部教宣部員、四一年二月及び四二年三月組合代議員、四一年一〇月より一年間東京支部研究副職場委員、教宣部員、四二年一〇月より二年間東京支部研究職場委員、文化体育部員、四四年一〇月より一年間東京支部選挙・大会運営委員長兼中央選挙・大会運営委員、研究副職場委員、四五年一〇月以降組合中央委員、東京支部執行委員、教宣部長の地位にあつて、活発な組合活動に従事していた。

小原敏秀は、昭和四四年三月九州大学工学部応用化学科を卒業、同年四月入社後、組合に加入し、四四年一〇月より東京支部青婦部常任幹事、四五年一〇月以降同書記長、その間四六年八月組合代議員、同九月以降組合拡大中央闘争委員、四五年六月以降東京化学産業労働組合協議会青婦部連絡会議事務局長として、活発な組合活動に従事してきた。

石田正敏は、昭和四一年三月東京農工大学工学部工業化学科を卒業、同年四月入社後組合に加入し、四二年一〇月から一年間と四五年一〇月以降東京支部研究職場委員、四六年同職場闘争委員長、四六年以降組合中央委員、四三年一〇月以降東京支部組織部員、組織部副部長、教宣部員を歴任、また三回にわたり組合代議員を担当するなどして、活発な組合活動に従事してきた。

入江芳夫は、昭和四二年三月都立化学工業高等学校を卒業、同年四月入社後、同年七月組合に加入、四三年東京支部青婦部常任幹事、四四年同副部長、支部文化体育部員、四五年青婦部教宣部長、支部組織部員、四六年青婦部教宣部長留任、支部統制部事務局長等を歴任し、活発な組合活動に従事してきた。

2 会社の組合活動家に対する態度

(1) 昭和三四年初めてのストライキ実施、三五年単一組合としての東セロ労組の結成、三六年合化労連加盟など、組合活動の活発化に対処して、会社は昭和三六年東京工場に下級職制を対象とする十日会なる組織を発足させ、これを使つて組合の組織介入を始めた。そして第一次合理化の始まる時期に当る昭和四四年八月及び九月に実施された東京支部代議員選挙、中央執行部役員選出、東京支部役員選挙等組合の選挙に介入し、その結果は十日会職制らの活動が奏効した。

本件合理化における残り人員の人選対象者六二名につき、本社へ三名、茨城工場へ二〇名、新研究所へ一七名が配転され、残り二二名が新会社要員として解雇されたのであるが、その内容をみると、東京支部出身の中央ないし東京支部執行委員経験者のほとんどが新会社要員とされ、会社内配転になつたわずかの右経験者は十日会会員もしくは同調者であり、人選当時の研究部の組合役員七名は木下不二男を除き全て新会社要員とされ、組合の中にあつてもとりわけ活発な活動をしてきた青婦部員についてみると、その役員経験者は全員新会社要員、それ以外の者は会社内配転と色分けされ、さらに昭和四四年九月の右東京支部役員選挙の結果は十日会の活動が全面的に勝利をおさめたものであつたが、同選挙で当選した者のほとんどは会社内配転をされたのに対し、落選した者は全員新会社要員とされたのである。

(2) (イ) 会社は残り人員につき、先ず昭和四七年二月二一日には、このうち適任者を茨城工場へ配転し他の従業員については就職斡旋するといい、次いで、同月二六日には社内配転二五ないし三〇名、新会社約一五名、就職斡旋約二〇名と回答し、同月二八日には人名を記し社内配転四〇名、新会社二二名と回答した。

(ロ) この一連の事実は会社が本件合理化に便乗して選定者らを含め特定の約二〇名の従業員の解雇を考えていたことを示すものにほかならない。

(3) (イ) 研究部の管理職を除く化学系学卒者は、第一ないし第四グループ関係では選定者石田、同小原、鳥羽(研究部に所属し研究所勤務を希望しながら解雇され新会社勤務となり、これを不服として別件において会社を相手として選定者ら同様係争中である)を含め二〇名であつたが、このうち右三名及び三品(第二グループ)飯島(第三グループ)の五名を除く一五名に対し、三井石油化学の開発部西田課長から昭和四六年一一月一二日から一三日にかけて同社に出頭するよう連絡があつた。右連絡は上司である研究部長又は課長を経由せず一五名中の一部の者に対し誰々を伴なつて来るようにという直接の電話によるものであつた。右呼出により出頭した者は西田課長外二名から現在従事している研究業務の内容を尋ねられたが、いずれも面接のための呼出しという印象を持つた。右呼出を受けなかつた者のうち選定者石田、同小原、鳥羽を除き、飯島は課長補佐で管理職同格の地位にあり、三品は三井石油化学の関係者と既に面識があつた。

(ロ) 選定者石田、同小原、鳥羽は組合活動家で新会社要員とされた者であり、このことは、一二月二日会社が「研究部閉鎖後は長以下二〇ないし二五名前後の構想で再採用となると思うが、うち組合員は一九ないし二〇名となると考えている」と回答したことと併せ考えると、資本及び経営参加をしている三井石油化学が組合活動以外の学卒者を指名再雇用することを考えていたことを意味する。即ち、指名再雇用が予定されていた組合員は呼出を受けた一五名に三井石油化学関係者に面識のある三品、管理職相当の飯島を加え、更に第五グループのうちの学卒者三名(高橋、小林、富野井)を加えると丁度二〇名となるのである。

3 以上の事実のほかに既に述べた研究所要員枠決定、人選経過、人選理由の不合理を併せ考えると、本件合理化における人選全体が、会社の意にそわない組合活動家を新会社要員として会社外に排除する意図でなされたものであり、選定者らに対する本件解雇もその一環として、前記のような選定者らの組合活動を嫌悪してなされたものとみるほかはない。

(二)  本件解雇は、選定者らの思想、信条を理由とするものであり憲法一九条、労働基準法三条に違反するものとして無効である。

鈴木藤夫は昭和三九年頃労音活動に熱心に従事し、同四一年頃日本民主青年同盟(民青)に加入、同年日本共産党に入党し、労音活動を通じて政治活動に従事し、更に右同盟ないし党活動に従事した。石田正敏は、昭和四二年頃労音活動に加わり、同四四年には日本共産党に入党して、労音活動を通じて政治活動に従事し、更に党活動に従事した。小原敏秀は、昭和四五年頃「詩人の会」という名称のグループを組織し、階級的な労働運動を指向して勉強会を催し、また同年反戦青年委員会系のデモにあたつて東セロ労組東京支部青婦部の決定に基づきこれに参加するなど反戦系べ平連系政治活動社会運動に共鳴し、諸活動に従事した。入江芳夫は昭和四三年頃労音活動に加わり、同年民青に加入、同四四年には日本共産党に加入して党活動に従事していた。

以上のとおり選定者らは組合活動としてまた労働者市民として政治活動に活発に従事してきたところ、会社はかかる選定者らの思想信条、それに基づく行動を嫌悪し、本件人員整理を機会に会社から排除すべく、本件解雇をしたものである。

本件合理化における人員整理全体をみても、日本共産党員、その同調者、反日共系(反戦系、べ平連系)関係者は全て新会社要員とされ、新会社要員の大半はこれらの者によつて占められているのであり、選定者らの本件解雇もその一環である。

(三)  本件解雇は、就業規則三二条二号に違反するものとして、また労使関係における信義則に違反し権利の濫用として無効である。就業規則三二条には「次の各号の一に該当するときは解雇する。」と定め、その二号には「事業の縮小その他会社が必要と認めたとき」との定めがおかれているが、この規定は会社の恣意的な運用を許したものではなく、事業の縮小が会社の存立上やむをえないものであること、それがやむをえないものであるとしても縮小による解雇は必要最小限にとどめられるべきものであること、解雇にあたり従業員中の何びとをこれにあてるべきか(本件の場合についていえば、何びとを残し何びとを解雇すべきか―新会社にふりむけるか)について客観的妥当性ないし合理性の存在することが要請されるものである。ところが、本件解雇についてみれば、僅々その二年前のいわゆる第一次合理化にあたり会社は東京工場の閉鎖をしないこと、研究部門を重視し充実することを約したものであるから、東京工場の閉鎖、研究部の縮小は右約旨に反するものというべく、また閉鎖、縮小がやむをえないとしても、それによつて生ずる解雇は不可避、最小限の範囲に止められなければならないはずであるのに縮小後の残存人員枠設定の不合理、選定者らを適格者として排除して他部門から導入ないし新規採用した不合理等のほか、人選に関する数々の不合理があり、選定者ら解雇ないし東セロ外への排除の真の理由が別のところ(不当労働行為ないし思想信条によるもの)にあることを窺わせるのであつて、就業規則違反ないし信義則違反、権利濫用にあたる解雇として無効である。

六  再抗弁に対する答弁

再抗弁(一)のうち、鈴木藤夫については、昭和三七年三月都立化学工業高等学校を卒業、同年四月入社、同年一〇月組合に加入し、四二年一〇月より三年間東京支部研究職場委員、四五年一〇月以降組合中央委員、東京支部執行委員であつたことは認め、その余は不知。小原敏秀については、昭和四四年三月九州大学工学部応用化学科を卒業、同年四月入社後組合に加入し、四六年九月以降組合拡大中央闘争委員であつたことは認め、その余は不知。石田正敏については、昭和四一年三月東京農工大学工学部工業化学科を卒業、同年四月入社後組合に加入し、四二年一〇月から一年と四五年一〇月以降東京支部研究職場委員であつたこと、三回にわたり組合代議員を担当したことは認め、その余は不知。入江芳夫については、昭和四二年三月都立化学工業高等学校を卒業、同年四月入社後同年七月組合に加入したことは認め、その余は不知、その余の主張事実は争う。

再抗弁(二)については争う、同(三)については就業規則三二条に主張の定めがあることは認め、その余は争う。

第三証拠関係〈省略〉

理由

一  請求原因事実及び抗弁(一)のうち会社が昭和四七年四月七日選定者らに対し就業規則三二条二号に基づく解雇の意思表示をした事実は当事者間に争いがない。

二  抗弁(二)において被告が主張する「本件合理化に至る経過」は、当事者間に争いのない事実と証拠によつてすべてこれを認めることができる。すなわち、抗弁(二)の1、11、13の事実は当事者間に争いがなく、その他の事実は、抗弁(二)のその他の項における部分的に当事者間に争いのない事実、証人加藤恭一の証言、弁論の全趣旨(以上1、11、13を除く他の事実についての共通証拠)のほか、2の事実につき成立に争いのない甲第二四号証の一、二、乙第五号証、原本の存在成立とも争いのない乙第一一号証、3ないし5の事実につき前記乙第五、第一一号証、6の事実につき証人加藤恭一の証言により成立を認め得る乙第一号証、前記乙第五、第一一号証、7の事実につき成立に争いのない乙第六号証、原本の存在成立とも争いのない乙第八号証、8の事実につき原本の存在成立とも争いのない乙第九号証、9及び10の事実につき前記乙第一、第一一号証、弁論の全趣旨により成立を認め得る乙第二ないし第四号証、いずれも原本の存在成立とも争いのない乙第一二ないし第一五、第一七ないし第一九、第三三号証、いずれも成立に争いのない乙第五三ないし第六八号証(第五五、第六一、第六六号証は各一、二)、12の事実につき前記乙第四号証、いずれも原本の存在成立とも争いのない第三五ないし第四二、第四五ないし第四八号証、成立に争いのない乙第七一号証、第七二号証の一、二、第七三ないし第七七号証、第七八号証の一、二、弁論の全趣旨により成立を認め得る乙第四三、第四四号証により、いずれもこれを認めることができる。

三  以上に認定した事実によれば、会社は昭和四三年からの業績低下を回復するため、昭和四四年末から同四五年にかけて第一次合理化計画を実施したにもかかわらず、第八二期以降も経常利益において大幅な赤字を累積し、昭和四六年五月には取引金融機関からの融資を断たれ倒産の危機に頻したが、大株主からの緊急の融資を受けついで三井石油化学株式会社の資本参加を得ることによりかろうじて倒産することを免かれ再建に取組むに至つたものの、そのまま推移すれば将来とも恒常的に赤字が累積することが見込まれたのであり、その経過によれば会社は、企業の存続、再建を計るため事業規模の縮小及び人員整理を含む抜本的な経営合理化を実施するさし迫つた必要が存したものと認められる。そしてその方策として、将来にわたつて黒字経営化の見通しが立たず、また立地条件からも公害問題、地下水問題等において工場維持に困難性をかかえる東京工場の廃止、それに伴う人員整理をその中心に据えたことは、やむをえない措置として是認しうるものというべく、さらに、研究部及び開発工場が東京工場内に存在したことをも契機として、右のような危急時にあつてとりあえず当面の利益に直結しない研究体制について、それが会社にとつて過大なものとなつていないかどうかを見直し、会社再建に必要な限度での縮小を考えることは、これまた是認しうるところといわなければならない。

原告は、被告が合理化の理由として主張するところはすべて欺瞞であり、業績悪化は無責任な経営によるものである旨主張する。しかし、会社の経営が悪化し合理化を必要とするに至つたことは既に述べたとおりであり、かかる事態の到来につき経営陣が全くかかわりのないものとはいい得ないとしても、既に述べたことから明らかなとおりその原因には時勢の推移により生じた客観的要因が多く存するのであつて、これを一概にすべて経営側の責任であるといつて合理化の必要までをも否定し去ることはできない。また、原告は、会社が各種引当金、準備金を取崩さず、地価再評価もしないで人員整理のため赤字決算をしている旨主張する。しかし、そのような操作により赤字を減少させたとしてもそれは所詮帳簿上の処理にとどまり、既に述べたような金融機関から融資を拒絶されるような悪化した経営の実体に少しも変化をもたらすものではないのである。

そこで次に原告らの在籍した研究部関係の具体的な人員整理の過程について検討していくことにする。

四  研究部関係の人選経過及びその正当性につき、抗弁(四)項の主張に沿って判断する。

(一)  前記乙第五号証、証人加藤恭一の証言とこれにより成立を認め得る乙第八〇号証の一、証人高橋亥三生の証言とこれにより成立を認め得る乙第八四号証の一、二、成立に争いのない乙第八〇号証の二、弁論の全趣旨とこれにより成立を認め得る乙第七九号証によれば、次の事実が認められる。

会社は研究開発費が第八二期(昭和四五年五月から同年一〇月まで)七、九〇六万七、〇〇〇円、第八三期(昭和四五年一一月から昭和四六年四月まで)七、七三一万九、〇〇〇円に達し、これが会社の規模に比し過大であると判断し、昭和四六年八月現在において更に八四期(昭和四六年五月から同年一〇月まで)には一億一、〇九一万三、〇〇〇円に達するものと予測されていたので、前記のとおり在来の研究部、開発工場を閉鎖し、これに代えて会社に見合つた規模の新研究所の発足を企図していた。そして、会社の再建担当常務取締役加藤恭一は新研究体制のあるべき規模を関係者を交えその後の業績をも勘案して具体的に検討した結果、昭和四七年二月二〇日頃、まず新研究体制における研究費用の総額を一期すなわち六か月で五、〇〇〇万円程度とすることとした。これは昭和四五年の科学技術研究調査報告(総理府統計局刊)を参考とし、研究費用が売上高に占める割合を業種別、規模別に会社と比較して算出したものであつた。即ち、右報告によれば売上高に占める研究技術費の割合は、全産業の規模計で一・一四パーセント、従業員の規模三〇〇人から九九九人で〇・八六パーセント、製造業の規模計で一・二九パーセント、従業員の規模三〇〇人から九九九人で〇・九一パーセント、一〇〇〇人から二九九九人で〇・九二パーセントであるのに対し、会社の総売上高に研究開発費用の占める割合は第八二期において一・四二パーセント、第八三期において一・四一パーセント、両期平均で約一・四一パーセントであり、総売上高には会社で製造し販売する当社品と他社から仕入れた製品を販売する他社品の両者の売上を含むところ、このうち研究開発費と直接関係する当社品売上高だけと対比してみると、その割合は第八二期において二・九八パーセント、第八三期において二・七四パーセント、両期平均で二・八六パーセントに達していた。これらの事情を勘案し、会社の従業員数は一、〇八〇名であつたので、総売上高に占める研究費の割合をほぼ一パーセント程度とし、直近の将来の見通しを考慮して、年間一億円、一期で五、〇〇〇万円程度とすることが会社経営上妥当であるとの結論に達したのであつた。そこで、加藤常務は直ちに経理部長高橋亥三生に対し、この金額の枠内でどの程度の人員を抱えることができるかの検討を命じた。高橋は第八二、八三期(昭和四五年五月ないし昭和四六年四月)の一年間の研究部門の経費の実績を管理不能費(不動産賃借料、租税公課、保険料、減価償却費等)と管理可能費(試作費とその他の諸経費)に分けて、前者は第八二期の実績が一、三八〇万六、〇〇〇円、第八三期実績が一、三一四万八、〇〇〇円であったので一、三〇〇万円は必要と判断した。後者のうち試作費とは研究部門の研究活動で開発試作段階のものを試作していく費用で、具体的には合成樹脂、ベースになるフィルム、塗料原料、溶剤、シリコンゴムロールの原料等の開発試作の費用であるが、高橋は当時の研究所長中村孝一、開発工場長松村誠夫の意見をも徴し第八二期の実績が約一、二八〇万円であつたので最低一、〇〇〇万円は必要と判断し、試作費以外の管理可能費は実績をある程度削減し七〇〇万円とした。従つて管理可能費は一、七〇〇万円となり、管理不能費一、三〇〇万円との合計三、〇〇〇万円が経費となり、五、〇〇〇万円からこれを除いた二、〇〇〇万円が労務費の額として算出された。以上を具体的に表にすると次の表のとおりである。

(単位:千円)

科目

82期実績

(45/5~45/10)

83期実績

(45/11~46/4)

新体制における見積額

研究費用

79,067

77,319

50,000

経費

(管理不能費)

不動産賃借料

租税公課

保険料

減価償却費

18

1,128

186

12,474

27

969

171

11,981

30

1,000

170

11,800

13,806

13,148

13,000

(管理可能費)

試作費

修繕費

消耗器具備品

事務用消耗品費

旅費交通費

通信費

図書費

交際費

諸会費

燃料費

電力料

研究材料費

薬品第

採用費

雑費

12,818

641

1,235

339

1,461

179

1,750

311

158

882

2,017

1,955

213

100

587

3,277

1,614

984

439

1,142

281

277

332

141

1,191

2,867

745

154

0

507

10,000

800

500

200

400

150

200

100

100

900

2,500

600

100

0

450

小計

11,828

10,674

7,000

24,646

13,951

17,000

労務費

40,615

50,220

20,000

そこで一人あたりの労務費を算定すると、第八四期(昭和四六年五月―一〇月)の実績によれば、一人あたり平均の賃金は四九万四、〇〇〇円、福利費(通勤定期代、給食代、健康診断費等)七万三、〇〇〇円であつた。賞与については中労委斡旋案により昭和四六年年末賞与が一三万五、〇〇〇円であつたことと過去の支給実績を勘案して一四万二、〇〇〇円と見積つた。退職金については退職引当金への繰入額の実績が一人平均九万五、〇〇〇円であつたのでこの金額を見積つた。以上を合計すると一人あたりの労務費は八〇万四、〇〇〇円となる。

そして、二、〇〇〇万円の労務費を八〇万四、〇〇〇円で割ると二四・九となるから、新研究体制における人員は約二五名に制約されることとなった。

(二)  原本の存在及び成立とも争いのない乙第五〇号証、証人加藤恭一の証言、証人松村誠夫の証言(第一、二回)、同証言(第二回)により成立を認め得る乙第九八号証、第一〇二号証及び弁論の全趣旨によると次の事実が認められる。

会社は中労委斡旋案に従つて、前記のとおり昭和四七年二月五日から同月二〇日まで希望退職者を募集したが、研究部と開発工場における結果は次のとおりであつた。

(研究部) 退職募集前の人員 希望退職者 残り人員

管理職      八       〇    八

顧問       一       〇    一

一般職     四四      二〇   二四

(小計)    (五三)    (二〇) (三三)

(開発工場)

管理職      一       〇    一

一般職     一二       八    四

(小計)    (一三)     (八)  (五)

合計       六六      二八   三八

右研究部の残り人員の氏名は次のとおりである。

(管理職) 部長中村孝一、課長大山透、叶田幹雄、中山不覊、横内良知、山崎旭、菊地譲、沼田善一(以上八名)

(顧問) 倉岡藤一

(一般職) 石田正敏(選定者)、木下不二男、佐々木正哉、鈴木藤夫(選定者)、小原敏秀(同)、笹山進、相馬孝一郎、三品紀年、入江芳夫(選定者)、武井正英、飯島荘資、松下哲郎、郡成好、玉井博幸、中村敏、鳥羽明彦、飯田良衛、高橋勲、福田宏、広井勇、原田勝義、角田賢一、富野井邦忠、江尻喜一(以上二四名)

会社は同月二四、二五日頃から各部門の人選を開始したが、研究部の人選については、加藤常務より二月二五日頃中村研究部長に対し新研究部の要員の選考が命ぜられた。人選の前提として、従来の研究部の研究の流れに従い研究部門を五つに分け、その各部門毎に研究テーマを設定し、残り人員三八名から前記二五名以内で適任者を選択することが指示された。中村研究部長は松村開発工場長に協力を求めるほか研究部の大山、叶田両課長らと共に人選に当り、まず、研究部門を第一グループ表面処理、第二グループ溶融製膜関係、第三グループ溶液製膜関係、第四グループ応用関係、第五グループ電気機械施設関係の五グループに分けたが、このグループ分けはおおむね研究部における従来の業務を引き継ぎ整理したものであつた。即ち、フィルムの製造法に大別して、水、シンナー等溶剤類の使用により溶液を造りフィルム化する方法(溶液製膜)と溶剤類を使用することなく加熱して溶融したうえ冷却固化する方法(溶融製膜)とがあり、これらにより製造したフィルムに欠点を補いあるいは長所を付加するため表面処理を行うこと(表面処理)、製品の使用用途を決定すること(応用研究)、製品を製造する機械、電気装置等の施設関係の各研究義務がそれぞれ存在したことに基づいてなされたものである。次に、要員の所定枠をも考慮して、各グループ毎に人員配置を要する研究テーマの設定を行つた。その結果、第一グループ(表面処理関係、製品としてはKコートOPフィルム、即ちOPフィルムにポリ塩化ビニリデンを塗布したものが中心となる)では、第一テーマとしてOPフィルムに塗布するポリ塩化ビニリデンのエマルジョン重合物の研究(重合)、第二テーマとして重合物と基材とを結びつけるアンカー剤の研究(アンカー)、第三テーマとしてフィルムの滑性をよくするためフィルムの上に塗布するスリップ剤の研究(スリップ)、それに分析、物性測定の合計四つのテーマが設定された。第二グループ(製品としてはポリプロピレンを溶融して造るOP、CPフィルムが中心となる)では、第一テーマとしてCP全般の関係、第二テーマとして現に建設中のOP二号機の運転につき製品の品質との関連においてこれを指導する業務、第三テーマとしてフィルムの接着性を高めるコロナ処理の研究、第四テーマとしてOPフィルムへの帯電防止剤、滑剤等添加剤の混練の研究(混練)、それに分析、物性測定の合計五つのテーマが設定された。第三グループはセロフアン関係、ビニロン関係、特殊フィルムの三つのテーマが設定され、第四グループは製品の使用用途の開発とクレーム処理等販売援助の二つのテーマが設定された。第五グループは工場の機械、施設全体に関わる業務を担当するものであるが、当面は茨城工場に建設中のOP二号機の建設のみがテーマとされた。なお右テーマのうち分析、物性測定は、従来は人員に余裕があつたためテーマ担当者が自身で担当していたが、新体制では人員に制限があり従つて一つのテーマは原則として一名で担当せざるをえないことになるので、テーマ担当者の負担を軽減するため、研究課題が多く分析、測定業務の多い第一、第二グループにそれぞれその専門担当者を置くべく、別個のテーマとして設定したものである。

ところで、人選に当つて、会社は、〈1〉管理職を重視する、〈2〉研究部員の技術、専攻科目を重視する、〈3〉OP、CP関係を重視する、〈4〉茨城工場のOP二号機建設要員を重視するとの方針をとつた。〈3〉のOP、CP重視の背景には、当時会社製品として将来期待されていたOP、CPには未解決の分野が多く今後の研究課題も多いため、会社として特に力をいれる必要があつたという事情があり、〈4〉は当時茨城工場にOP二号機が建設中でOPについては会社の社運をかけて多額の投資がなされており、これを重視する必要があつたことによる。これらの方針に基づいて、残り人員のうちまず中村研究部長及び松村開発工場長並びに専売公社担当として不可欠の倉岡顧問が新研究所要員として残されることになり、次いでOP二号機建設要員として業務に従事していた前記横内、山崎、菊地(以上課長)、福田、高橋、原田、角田、富野井、広井、江尻のうち、江尻を除く九名は右第五グループの要員として不可欠であるのでこれを残すことにした。また公傷者は会社内に残すとの方針により前記沼田(課長)が残された。新研究部要員を二五名とすると、先ず右一三名が残留を予定されることになるから、要員枠の残りは一二名となるが、右の残留予定者のうち中村部長は早晩退職の予定であり、また沼田は公傷者であることを考慮し、それに応じて残人員枠に余裕をみることとされた。かくして前記研究部残り人員のうち右の残留予定者を除く者から前記第一ないし第四グループ(合計一四テーマ)の担当者が人選されることになるが、要員枠との関係で必然的に一テーマ一名とならざるをえない(もつとも前示のとおり要員枠を考慮してテーマ設定がなされた関係からもそのようになるわけである。)。なお課長職のうち大山、叶田、中山は、右のように人員が制限される関係上、従来のように監督者として全体を掌握するだけでなく、自らもテーマを担当すべきものとし、右テーマ担当者として優先的に残す方針をとつた。

そこで次に、右候補者を、その研究部員としての経歴及び研究実績により、各グループ毎、テーマ毎の候補者として分類したうえ、その中から右経歴実績により最適任者を人選した。このようにして、第一グループの候補者となつたのは、大山(課長)、木下、佐々木、中村、石田(選定者)、小原(同)、鈴木(同)の七名であつた。第一テーマのポリ塩化ビニリデンのエマルジョン重合の研究は大山課長、木下、小原の三人を候補とし、いわば同研究の草分け的存在として昭和四三年暮頃から研究に着手し、自らも実験し、かつ部員の指導にも当つてきた大山を選んだ。第二テーマのアンカー剤の研究は木下、中村、石田の三人を候補とし、三名中研究歴が一番長くかつ同研究と関連を有するポリ塩化ビニリデンのエルマジョン重合の経験もある木下を選んだ。第三テーマのスリップ剤の研究は、中村と鈴木を候補とし、中村の方がこの領域の経験年数が長くビニロンデラックスの第一人者であることを理由に同人を選んだ。なお、中村は従来右グループ分けから言うと第三グループ(ビニロン、セロフアン担当)に属していたが、同人は過去相当期間にわたり表面処理関係の仕事を担当したことがあるうえ、現にはビニロンのスリップを担当していたものの、この仕事も表面処理によるスリップの研究であるところ、新体制のグループ分けにおいては要員枠に限りがあるため表面処理は基材が溶融であるか溶液であるかにかかわりなく第一グループで処理するとの考え方から、第一グループの候補者としたものである。第一グループの分析、物性測定は、佐々木がKOPで一番大切な物性であるバリヤ性の測定に習熟していること及びこの業務が地味な仕事で精度の要求されるものであるところ、同人が性格上適格であることを理由に同人を選んだ。第二グループの候補者は叶田(課長)、笹山、武井、相馬、三品、入江(選定者)の六名であつた。第一テーマのCP全般の関係では笹山、相馬、入江の三名を候補とし、CP関係は笹山が経歴的に圧倒的に長く技術もすぐれているとの理由で同人を選んだ。第二テーマの茨城工場のOP二号機の運転指導は、第二グループにおいて当面最も重視すべきテーマであつたので、第二グループの統括者であつた叶田課長を選んだ。第三テーマのコロナ処理は当時これを担当していたのは三品のみであつたことを理由に同人を選んだ。第四テーマの混練は当時これを担当していたのが武井で他に経験者がいなかつたことを理由に同人を選んだ。第二グループの分析、物性測定には相馬と入江を候補としたが、入江はCPエンボスの運転要員、OP研究機の運転要員としての性格が強く、相馬は笹山と組んでCP、CP一軸延伸、ナイロンその他の合成樹脂の物性の研究をしていたので、相馬を選んだ。第三グループの候補者は飯島、郡、松下、鳥羽の四名であつたが、セロフアン関係担当として松下、ビニロン関係担当として郡、特殊フィルム担当として飯島を選んだ。第四グループは会社製品の使用、用途決定に玉井、販売援助に中山(課長)を選び、他に候補者はいなかつた。

かくして新研究所要員二七名が人選され、選定者らはその選に洩れた。

(三)  右人選の妥当性について考えると、成立に争いのない甲第五七、第五八号証、第六一号証、第六二号証の一、二、第九六号証、第九七号証の一ないし三、第一一七号証、乙第八七、第八八号証、第九七号証、第一〇〇、第一〇一号証、第一〇三ないし第一〇七号証、証人松村誠夫の証言(第一、二回)と同証言(第二回)により成立を認め得る乙第一一〇号証の一並びに弁論の全趣旨を総合すると、第一ないし第四グループの人選対象者各人の経歴、研究歴等が概ね別表の通り(但し、佐々木正哉の卒年の欄に「社内学卒資格試験合格四六年」と、同人の研究歴欄三段目「片面防湿セロフアンの研究(アンカー、スリップ)」の次に「KOPの研究(アンカー)」と、相馬孝一郎の卒年欄に「社内学卒資格試験不合格」と各挿入し、入江芳夫の研究歴三段目中「CPエンボス製造および」を削除する。)であつたことが認められ、これによれば、右認定の会社の設定した人選基準及びグループ別、テーマ別の人選方法を前提とする限り、人選対象者の対比及び当てはめは合理性を有するものと認めうべく、選定者ら四名がその人選に洩れたことはやむをえない結果といわざるを得ない。

なお、原告が選定者らに関し右対比及び当てはめの不当性を主張する点について判断する。

小原について、同人が人選当時唯一の重合研究従事者であつたから、重合のテーマの最適任者である旨主張する。しかし、右に認定したような大山の研究経歴及び実績からみて同人を第一グループの最重要テーマである重合の研究テーマに従事するものとして選定したことは相当であると認められるし、一方、前掲乙第一一〇号証の一、証人小原敏秀によれば、小原は昭和四四年三月入社で第一グループ内では研究経歴が最も短く、大山の指導の下で実験、月報の作成等研究業務に従事してきたことが認められるのであるから、大山が管理職であることを除外しても大山との対比において人選に洩れてもやむを得ないものというべきである。

石田について、同人が比較された木下が開発工場の品質管理担当で研究業務に従事しておらず、粘着剤を研究していた石田の方がアンカーのテーマには適任である旨主張する。しかし、前記乙第九七号証、第一〇〇号証、第一〇二号証、証人松村誠夫の証言(第二回)及び弁論の全趣旨によれば、木下は人選直前までほぼ一年間開発工場の品質管理を担当していたが、それはあくまで研究部の大山課長の統括するグループ(第一グループ)の一員としてその任に当つていたもので、その仕事の内容も公社用KコートOPに関し単なる不良品のチェックにとどまらず、処方の決定までをもその業務とし、そのため実験やデーター分析等の研究業務も必要となること、現に同人は右業務担当中にも研究月報研究レポートを提出しており、その中にはアンカー剤に関するものもあることが認められるうえ、同人にはそれ以前においてKOPのアンカーに関する相当の研究歴があるのであるから、原告の右主張は当らない。

鈴木について、同人が比較された中村の担当していた第三グループのビニロンのスリップは第一グループの研究対象であるKOPとは関係がない旨主張するが、証人松村誠夫の証言(第一、二回)によれば、スリップとしてみる限りビニロンについても、KOPについても研究対象としては共通性があるということができ、それなればこそ要員枠の関係上第一グループにおいてスリップ関係の研究を一括して行なうことにしたものであることが認められるのである。

入江について、同人がOP運転指導では叶田よりすぐれているとの趣旨の主張をするが、証人松村誠夫の証言(第一、二回)によれば、叶田は課長としてOP、CP関係全体を把握していたのであり、特にOP関係の研究歴が長かつたことが認められ、かつ管理職重視の方針からも入江との対比において叶田が人選されても不自然ではない。また、入江はOPの現場ではやがて作業員補充の必要があつたから、茨城工場へ配転する途もあつた旨主張する。しかし、証人加藤恭一、小原敏秀の証言及び原告本人尋問の結果により成立を認め得る甲第九二号証に弁論の全趣旨を綜合すれば会社は同じ現場部門であるということから東京工場の残り人員を茨城工場へまず配転するとの方針をとつていたところ、茨城工場の配転受入れにも限度があり、東京工場の残り人員すらこれに吸収しえないものが多数に及んだ(東京工場の残り人員三四名のうち、二〇名が茨城工場に、三名が本社に配転され、残り一一名が新会社要員とされた)ことが認められるのであり、右の茨城工場に配転された者との対比において、入江を同工場に配転させなかつたことが不合理な処置であると考えるべき根拠はない。

(以上の四項の認定につきこれに反する原告本人の供述、その他の選定者らの各証言、甲第二二号証は採用することができない。)

五  以上の事実によれば、会社が東京工場と共に、とりあえず当面の利益に直結せず、規模としても過大であり、かつ立地的にも同工場内にあつた研究部及び開発工場を廃止して、企業再建に見合つた研究体制に改めようとしたことは、無理からぬものとして首肯できるところであり、かかる場合にその必要な範囲での人員整理はやむをえないものとして肯定しなければならない。

ところで、右のような人員整理において、どの部門の人員を数においてどの程度整理するか、その整理基準をどのように定めるか等の方策については、およそ反論を容れる余地のないいわば自然科学法則のごとき絶対的な基準があるわけではないのであるから、合理性が否定されない範囲においてその選択、決定につき、使用者の裁量が許されるものといわざるを得ない。反面、整理される労働者(特に解雇される労働者)の生活保障のため使用者は経営事情に応じ可能な限りの手段を尽すことが信義則上必要である。このほか、労働協約に協議約款があるような場合にあつては、その方策の選択、決定につき、労働組合との間で十分協議を尽すことが必要であることはいうまでもないし、そのような約款がなくても、整理の規模、方法等によつては労働組合又は労働組合がないときは労働者を代表する者との間に十分協議を尽すことが信義則上必要なこともあり得よう。

かかる観点から本件をみると、まず、後記四の(一)に認定したような検討を経て企業再建に見合つた新研究体制の要員枠を二五名と設定したこと、そして、研究部及び開発工場に従事していた残り人員の中から右新研究所要員を人選するについて、前記四の(二)認定のように人選基準を設定し、研究業務のグループ分けをして人員配置を要する研究テーマを設定したうえ、人選対象者の研究経歴及び実績により人選したことは、再建のため企業経営の見地に立つ限り、合理的方策の一つとして首肯し得るものと認められ、そして、右人選基準及び方法に従えば、選定者らがその人選に残されたことがやむを得ない結果であることは既に指摘したとおりである。

次に、前記二に認定した事実によれば、会社は、希望退職者に対し会社都合による退職金、退職加給金、特別退職加給金を支給し、かつ就職斡旋をし、一方退職を希望しない選定者らを含む被解雇者には職場として新会社を確保し、その労働条件についても会社において賃金の一部を保障するなど会社なりに一定の保障を与えているし、また、本件の人員整理の規模及び代替職場の確保等被整理者の扱いについて組合と協議を重ね、中労委の斡旋を経て、譲り得る部分は譲り、最終的には、一部の人選において組合から異議が留められたものの、組合との合意に達したうえで本件解雇に及んだのであるから、会社として、尽すべき手段の点において特に欠けるところがあつたとは認められないのである。

六  以下順次原告が主張する研究部門における人選経過及び正当性に対する反論について検討する。

(一)  要員枠決定の不合理について

原告は、会社が新研究所の研究業務の中に本来研究業務といえないものを含めて要員枠を二五名と決定していることが不当であること及び被告主張の売上高と研究費との比率から要員を割出す手法によれば、新研究所には二九ないし三二名の要員枠の設定が可能であると主張する。

証人加藤恭一の証言によれば、会社は前記のように倒産を免れるため再建計画全体の中において研究部縮小という形で新研究所の所管業務、規模及び要員を決定したのであつて、その際検討の対象としたのは、OP二号機建設関係を含む研究部が所管していた業務全体であつたこと、そして、会社は右のような意味での研究部縮小の検討及び負担可能な研究費を算出する過程において、総理府統計局の「科学技術研究調査報告」を参考に供する目的で使用し、これにより得られた資料的数値と会社の過去及び将来に予想される業績を勘案し、企業経営の総合的見地から一期(六ケ月)における研究費をほぼ売上の一割に近い五、〇〇〇万円とするとの結論に達したことが認められるのであつて、この事実によれば、会社が同報告を将来の研究部門の規模決定にあたり絶対的な基準としこれにのみ依拠する意図の下に用いたものでないことが看取されるのであるし、また、利用者が同報告による資料を純粋な研究業務との対比においてのみ用いなければならないというような制約を受けるものでもないのである。元来、研究業務の範囲、規模は企業がその経営の実情に応じて自由に定め得るところであつて、会社が新研究所の要員枠決定にあたり右のような方法をとつたからといつて、特にこれを不当なものと考えることはできない。

なお、証人佐々崎八代吉は、昭和四七年一月二二日の太田、水町のトップ交渉において、水町社長から「東京工場、研究部、開発工場の希望退職者を募集しても一〇〇名位退職すればいい方で、一五〇ないし一六〇名も残ると社内吸収できないから、新職場に六五名程度移したい」との趣旨の発言があり、これからみると会社としては当時八〇ないし九〇名は茨城工場等に吸収する予定であつたはずであるから、会社が残り人員六二名のうち二二名を新会社要員としたことは不合理であると供述する。しかしながら前記乙第四号証、第七一号証、第七二号証の一、二によれば、同年二月二一日以後の交渉において、希望退職者募集後の残り人員六〇名の全部を茨城工場に吸収できないことを前提にして広い意味の雇用保障のあり方が論議されているところ、これに対し組合及び合化労連側から右のような問題が指摘された形跡がうかがえないから、右証言部分は水町社長がかかる明確な発言をしたとの趣旨において採ることはできないのであり、右の判断を左右しない。

(二)  人選経過の不合理性の主張について

1  原告は人選担当者が人選対象者全員の経歴、研究実績を知るため各人の研究月報、レポートを一日でみることは不可能である旨主張する。なるほど人選対象者は研究部関係三三名関発工場関係五名合計三八名であるが、このうち、管理職である中村研究部長、松村開発工場長、公傷者沼田課長、専売公社担当の倉岡顧問の残留が先ず決定し、次いで従来の職務分担によりOP二号機建設関係の第五グループ要員の人選が先行し、更に開発工場関係の一般職については研究部のテーマを承継した新研究所のテーマとの関係では人選対象外とされたものと推認されるから、前記認定のとおり結局別表記載の一九名につき個別的人選が必要となつたのにすぎない。しかも、管理職重視の方針に従えば大山、叶田、中山の三課長は残留することになるから、実質上研究経歴、研究実績を対比すべき人員は一六名となるのであるし、人選方法も全員を一括して比較し順位をつけるというのではなく、研究部時代の担当業務により、まず各グループごとに対象者を決め、次いで、一テーマにつき候補とされる者を二ないし三名決めたうえで(ここまでの作業は人選担当者の顔ぶれからみてさして困難なこととは思われない)、テーマごとに残留者を決めることになるのである。そして、人選が全く未知の者を対象として行なわれるものでなく、また、対象者の研究月報、レポートを読むといつても、証人松村誠夫の証言(第一、二回)からうかがわれるように人選担当者がはじめてこれに接するというものでもないし、本訴に提出された研究月報、レポートをみると、冒頭にテーマが記載されているから、経験ある専門家が短時間内において提出者の経歴実績を知る目的で検討の対象とすることは不可能とは思われない。かかる事情を勘案すれば、被告主張のような人選方法も可能であるといい得るのであつて、原告のこの点に関する主張は理由がない。

2  中村研究部長が自ら人選には関与せず、また新研究所での担当業務が未定であると述べた点については、証人石田正敏の証言、同証言により成立を認め得る甲第四二、第一一三号証中にこれに副う部分があるが、仮にその事実があつたとしても、既に認定したところに証人加藤恭一の証言と弁論の全趣旨を総合すると、中村は当時着任後日が浅く研究部の事情に精通していなかつたため実質的には人選を松村ら三名の管理職に任せたことが窺われるから、その意味では、人選に関与していなかつたに等しい立場にあつたといえないでもないし、担当者未定の発言の真意ははかりかねるが(人事問題であるため当時既に解雇され会社の従業員でなくなつた選定者らに対しこの点を明らかにしなかつたためとも考えられるが、推測の域を出ない)、選定者らに対し真実を告げなかつたことの当否は別として本件にあらわれた他の証拠と対比し、そのことによつて、人選そのものが不合理に行なわれたとまで断ずることはできない。

3  原告は、人選内容は二月二五日以前から既に決定されていた旨主張する。なるほど、証人小原敏秀の証言中には、「(1)東京工場工務課電気係所属の拡大中央執行委員白井淳二が昭和四七年二月二四日同係長石野慶一(組合員)から、『茨城工場工務課ボイラー係長(組合員)小林繁二から石野に対し同人の茨城工場配転は内定しているという電話連絡があつた』ということを聞いた。(2)研究部第三グループ系の松藤洋治が河野総務部長に希望退職に応ずる意向であることを述べた際同部長から『惜しいな。君は研究所に残れるようになつているのに』といわれ、松藤はこのことを選定者石田に話をした。」という部分があり、同証言により真正に成立したと認められる甲第五〇号証にも前記(1)と同趣旨の記載がある。しかし、(1)については組合員であつて工場の係長に過ぎない小林が人選結果を知つていたということは首肯し得ないところであるし、(2)についても新研究所への人選が関心の的になつている時期に、退職者に対する外交辞令的な意味ならばともかく、会社の幹部がそのような軽率な発言をすることは考えられないところである。従つて、これらの情報はいずれも伝聞を交じえたもので確度の高いものということはできない。のみならず、事柄が人選にかかるだけに、そのような疑いがあれば、後に述べる三井石油化学による呼出問題と同様直ちに組合において取り上げ会社に厳重抗議して然るべきであるのに、そのような事実は認められないのである(証人小原もこの点は認めている)。従つて右証拠をもつて、人選が二月二五日以前に決定されており、被告主張の人選経過が虚偽であると断ずるには足りない。

4  原告は松村開発工場長(当時)が人選担当者として不適格である旨主張する。しかし、証人松村誠夫の証言(第一回)によれば、松村は昭和三〇年入社後四年間技術部研究課に配属され、その後昭和四六年四月開発工場長に就任するまで本社、東京工場、茨城工場に勤務していたが、昭和三九年九月以来東京工場の防湿課長、CP担当課長、製膜課長、本社技術部課長、茨城工場の製造課長等の管理職にあり、その担当業務遂行の必要上常に研究部とは密接な連けいを保ち、開発工場長就任後は研究部員提出の月報、レポート等に目を通していたことが認められ、また同人は当時の研究部の管理職であつた大山、叶田課長の助力もえて人選に当つたのであるから、同人が人選担当者として不適格であるとの原告の主張は当らない。

5  原告は、研究部員の経歴及び実績を重視したという人選に関する被告の主張、松村証言に変遷があると主張するが、いずれも基本的には一貫し、動しがたい矛盾というものは見出せない。

6  原告は、昭和四六年一二月二日の団体交渉の席上会社が示した一般職員についての新研究体制の腹案と本件人選結果とが異なることの矛盾を主張するが既に認定したところから明らかなように、一二月二日段階には未だ技術的見地からの検討を経ていないまさに腹案にとどまる会社回答であつたのに対し、その後に行なわれた本件人選は与えられた要員枠内での専ら技術的見地に基づくものであつたから、仮に両者間に若干の差があつたとしても、異とするには値しない。

7  人選当日の二月二五日付会社回答によれば第一グループの研究テーマは「KOP関係、離型フィルム等」となつていながら人選過程において離型フィルムがテーマとして掲げられていないことは原告指摘のとおりである。しかし、証人松村誠夫の証言(第一、二回)によると、離型フィルムは研究部の研究テーマとされていたが、昭和四六年暮関連会社である東セロ化学株式会社にその業務を移管し、以来会社においてはこれを扱つていなかつたこと、それにもかかわらず二月二五日前記のような会社回答がなされたのは、かつて離型フィルムが研究テーマとされていたという沿革的意味といずれ会社において再び扱いたいという意向もあつて、会社としてこれを完全に手離したという意識もなかつたことによるものであること、しかし、同日団体交渉とは別途に行なわれた人選において人選担当者は残留可能人員に限りがあり、かつ将来会社においてその研究を再開する場合を考えてもそれ程困難なテーマではなく予めそのための人員を確保しておく必要もないとの判断の下に離型フィルムを研究テーマからはずしたこと、現在に至るまで会社は離型フィルムの製造を再開していないことが認められる。この事実によれば、離型フィルムがテーマから除外されたことにそれなりの理由があり、右除外が石田を人選から排除する意図の下になされたものとは認めがたい。

8  原告は、第三グループの一研究テーマにセロフアン関係を設定しその担当者に公害研究をさせることにしたことにつき、両者の研究は無関係であるから、公害担当者を残すなら当時の研究員にはその経験者なく全員が候補者となるべきである旨主張する。しかし、前掲乙第五号証、証人松村誠夫の証言(第一、二回)によれば、セロフアンの製造技術は完成の域に達したとはいえ、その製造過程から生ずる硫化水素、二硫化炭素等の排ガス処理のいわゆる第一次公害問題が解決を迫られていたところ、セロフアン専門家にこれを担当させるのが相当であるとの判断の下に松下を残したことが認められるのであり、この事実によれば、第三グループのセロフアンの研究テーマの人選が特に不合理と考えることはできない。

9  第四グループにおけるテーマの設定が、本訴における被告の主張(応用研究)と二月二五日及び三月一四日における会社の回答(フィルムの物性測定及び分析)とで異なることは原告主張のとおりである。そして、本訴にあらわれた全資料によるも右の齟齬の理由を知る直接の手掛りは見出し得ない。しかし、既に認定したように、新研究所のための経費、要員枠は再建担当の加藤常務取締役が決め、その範囲内でのグループわけ、テーマの選定及び人選は中村研究部長以下の技術畑の幹部職員に一任され、右人選担当者は残りの人員の専ら研究経歴、研究実績により人選を行なつたものであるから、右のような齟齬があつたからといつて直ちに人選の不当性までをも推認することはできない。人選結果によると、第一、第二グループに物性測定及び分析のテーマがおかれ、各一名が人選され、第四グループは応用研究として開発用途、販売援助というテーマがおかれ各一名が人選されている。第四グループのテーマが製造販売を営む会社として無用なものと認むべき証拠はないし、物性測定及び分析もいずれにせよ設立されるテーマであつたのであり、これを仮に第四グループに移行したとしても、右のように会社にとつて必要と認められる応用研究関係のテーマが残される以上選定者らが新研究所に残留できる可能性があるものと即断することはできないのである(因に、右の齟齬の点については、原告すら最終準備書面においてはじめて主張したにとどまり、本人又は各証人に対する主尋問反対尋問の過程においても全く触れられていないのである)

10  会社が人選にあたり物性測定等を第一、第二グループの独立テーマとした理由については既に認定したとおりであり、それによれば合理性が肯認し得ないではないから、右テーマ設定をもつて原告が主張するように選定者らを排除する意図のもとになされたものと認めることはできない。

11  本件人選において希望がかなえられなかつた従業員がいたことは事実である。しかし、本件人選は従業員の希望を最優先して行なわれたものではなく、研究経歴、研究実績が重視されたことは既に述べたとおりであり、特に研究所勤務者についてはその業務の性質からみて希望にとらわれていては適切な人選をなし得ないこともあり得ることであるから、会社が右のような方針の下に人選を行ないその後希望を聴取したが、結局人選結果を変更するに至らなかつたとしても、当初の人選に合理性が認められる以上、それはやむを得ないところといわなければならない。

12  以上のとおり、原告が矛盾又は不合理であるとする点はすべて理由がなく、また被告の主張する人選手続及び方法が真実に反し本訴提起後に考えられたものであるとする点についてもこれを採用することができない。

(本項の認定につき採用しがたい証拠の排斥については前記四末尾記載と同様である。)

七  再抗弁について判断する。

(一)  人員整理を実施する過程において、これに便乗した不当労働行為、思想信条による差別が行なわれてならないのは当然であるが、整理が企業再建を目指して行なわれるものである以上整理基準設定及びその該当の有無については今後企業の運営に当るべき使用者の判断を一次的に重んずべきであり、右判断が企業経営の見地から合理性を有するものと認められる限り、前記のような不法な意図はないものと一応推認してこれを是認すべきである。しかして、本件人選につき合理性を認め得ることは既に述べたとおりであるが、なお、原告の主張に即して会社に右のような不法な意図があつたと認めうるかどうかについて検討する。

(二)  1 当事者間に争いのない事実、証人小原敏秀の証言とこれにより成立を認め得る甲第二九号証、証人石田正敏の証言(第一回)とこれにより成立を認め得る甲第九五号証、証人入江芳夫の証言とこれにより成立を認め得る甲第一一五、第一一六号証、原告鈴木藤夫本人尋問の結果とこれにより成立を認め得る甲第六〇号証及び弁論の全趣旨によれば、選定者らが再抗弁(一)の1の記載のとおりの組合の役職についていたこと及び選定者らが再抗弁(二)記載のとおり政治団体等に加入し政治活動をしていたことが認められる。

また、前出甲第九二号証、証人小原敏秀の証言とこれにより成立を認め得る甲第三六号証、弁論の全趣旨により成立を認め得る甲第一二〇ないし第一二八号証及び弁論の全趣旨によると、本件人選の対象となつた六二名のうち会社内配転になつた者と新会社要員となつた者との経歴を対比してみると、組合の東京支部出身の執行委員経験者は比較的新会社要員となつた者が多いこと、人選当時研究部において組合役員であつた者の大多数が新会社要員とされたこと、人選当時の組合青年婦人部員のうち同部役員経験者は新会社要員となつたこと、昭和四四年九月に行なわれた組合役員選挙において当選した者は会社内配転、落選した者は新会社要員となつたこと、新会社要員とされた者の中には共産党員、その同調者ないし民主青年同盟加盟者を自称する従業員が比較的多いことをいずれも認めることができる。

2 しかし他面、前記甲第三六、第九二号証、乙第五三ないし第七八号証(但しうち第五五、第六三、第六六、第七二、第七八号証は各一、二)によれば、茨城工場へ配転された東京工場従業員の中には、福原粂治中央執行委員、広井丈夫東京支部書記長兼拡大中央闘争委員が含まれているが、右両名は昭和四六年九月二三日から昭和四七年四月五日まで二六回にわたり開かれた本件合理化及び年末一時金要求に関する団体交渉に殆ど常時出席していたことが認められ、また、右両名の組合における地位からみて、既に認定した本件合理化反対、年末一時金要求のための屡次のストライキを含む長期にわたる組合の闘争においてその指導的役割を担つてきたものと推認することができる。また、前記甲第九二号証によれば、東京工場の職場委員二名が茨城工場へ、研究部の職場委員木下不二男(元東京支部執行委員)が新研究所へ配転されたことが認められる。更に証人石田正敏の証言により真正に成立したと認められる甲第六四、第九八ないし第一〇〇号証によれば、木下不二男は東京支部執行委員教宣部長として同支部の機関紙「支部ニュース」の発行責任者の地位(選定者鈴木の前任者)にあつたことがあり、四四号一面に「春闘と平和路線」(同号二面には選定者鈴木の「みんなでやろう」)、六九号一面に「着実な教宣」(同面には選定者小原の「残業の強制は本末転倒だ」)、七六号二面に「合理化闘争第三次浜松オルグ報告」(同面に選定者石田の「憂を残さぬ組織体制」)を投稿掲載し、広井丈夫は四四号一面に「大会に参加して」、第六七号一面に「要求に向つて職場討議を」を投稿掲載していることが認められる。従つて、これらの事情と前記のとおり本件人選の合理性を了解しうることとを併せ考えると、新会社要員に組合役員を経験した者が多い等右1項認定の現象面だけから、被告の不当労働行為意思を推認することは困難である。

3 また、原告は会社内の下級職制による組織である十日会会員又はその同調者が非会員と比べ本件整理において社内配転において優遇され、同会が会社と密接なつながりのある組織である旨の主張をする。

成立に争いのない甲第七八、第八二号証、原告鈴木藤夫本人尋問の結果及び同結果により真正に成立したと認められる甲第六六ないし第七七、第八〇、第八一号証、第八三、第八四号証の各一、二によれば、十日会は昭和三六年五月東京工場の係長、主任、副主任らが、第一線監督者としての自覚を深め技能を伸長し会員相互の親睦を深め、産業教育センターの講習会、研究会、工場見学等の通知連絡と報告検討を行なうことを目的とし毎月一〇日を定例研究日と定め、かつ労使関係における会社と組合の対立関係にはなんら関係をもたない性格のものとして発足した、加入自由のいわゆる任意団体で、その後会員の範囲は研究部にまで拡大されたこと、会員は自動的に産業教育センター主催の第一線監督者研究会に入会するものとされ、同センター主催の研究会、講習会参加のための職場離脱は無事故扱いとされるほか、会社が十日会のために毎月五〇〇〇円の援助金を出し、同会の会合には会社工場、研究所の幹部が出席することもあつたこと、会員の参加する前記センター主催の研究会では民青対策等のいわゆる思想問題も討議されることもあり、その結果は十日会の研究会でも報告されていたことが認められる。このように、十日会は組合とは直接かかわりのない組織であり、その会の性格上会社幹部が出席しても不自然ではなく、また、成立に争いのない乙第八九号証の一、二、原告鈴木藤夫本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したと認められる乙八九号証の三ないし五によれば会社は十日会に限らず囲碁クラブ、組合主催の文化祭、体育祭等にも補助金を出していることが認められるのであるから、十日会が会社と特別なかかわり合いを持つ組織であるとまで断定することは困難である。のみならず前掲甲第六六ないし第七五号証の昭和三六年度以降の十日会報告及び決算報告等からみれば、十日会は昭和四五年三月をもつて事実上活動を停止したものと推認され、また、前記甲第九二号証によれば、十日会入会資格のある主任、副主任(同待遇も含む)で同会に入会していない東京工場、研究部の従業員でも、かなりの数の者が茨城工場、新研究所へ配転となつていることが認められるのであるから、会社は本件人選にあたり十日会員であつたかどうかについて関心を示しているとは認めえないのである。もつとも、右に認定した十日会の行動にも全く問題がないとはいえないことは事実であるし、原告主張のような同会と組合選挙との関係について完全に疑いを払拭し得ない面もないわけではないが、右に述べたように会員であることと人選とのかかわりを認め得ないのであるから、この点に関する原告の主張に関しこれ以上論ずる必要はないものというべきである。

なお、選定者鈴木藤夫は本人尋問の際、木下、福原の両名は十日会同調者で同じ組合役職者でも本件人選に当り同会と無関係な組合役職者と異つた扱いを受けたという趣旨の供述をし、前記甲第九二号証中にも右両名が十日会同調者である旨の記載がある。原告は、右両名が十日会同調者であることのよりどころとして十日会幹事田村幸二が所持し記入した会社従業員用の昭和四五年度の手帳であると主張する甲第八九号証の一ないし五を提出するが、その記載から直ちに右両名を十日会同調者と認めるには早計と思われるだけでなく、右はいずれも手帳の一部のコピーにとどまり、選定者鈴木は、右手帳は本件解雇後入手し必要部分だけをコピーして提供者に返還したと供述するものの、その入手経路が不明であり、その全体の体裁、形状等を把握すべき原本又はコピーが存在しない以上、被告が会社従業員の手帳として提出する乙第九一、第九二号証(いずれも末尾一枚は弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められ、他の部分は成立に争いがない)との対比において、右甲第八九号証の一ないし五の成立の真正につき心証を得るには至らないのである。このように、本件人選当時前記のような組合役職にあつた右両名が十日会同調者であることにつきこれを認めるべき十分な資料がないだけでなく、十日会所属と本件人選との間に直接のかかわり合いを認め得ないことは既に述べたとおりであるから、右両名が他の組合役員に比し本件人選につき原告主張の理由により特に優遇されたものということはできないのである。

4 再抗弁(一)2(2)(イ)のような経過が認められることについては既に述べたとおりであるが、この事実から会社が好ましくない人物二〇名の企業外排除を企図していたものとまで推断することは困難である。

次に、証人小原敏秀の証言、同証言により真正に成立したと認められる甲第二〇号証、第三三、第三四号証の各一、二、第三五号証によれば、再抗弁(一)2(3)(イ)の事実(昭和四六年一一月一二、一三日三井石油化学から研究部第一ないし第四グループ系所属の化学系大学卒業者一五名に対し直接呼出があつた事実)及びこの点につき組合が直ちに抗議をした事実が認められる。原告は、右呼出の事実を会社がその直後である同年一二月二日「研究部閉鎖後は長以下二〇ないし二五名前後の構想で再採用となると思うが、うち組合員は一九ないし二〇名となると考えている」と回答したことをとらえて、三井石油化学が選定者ら組合活動家以外の化学系大学卒業者の再採用を考えていた旨主張し、同社の系列下にある会社に選定者らを本件合理化に便乗して排除する意図があつたことの裏付けとしようとする。

しかし、会社の右回答は研究部閉鎖後の機構についての最初のもので構想の域を出ていないのであり、その後前認定のように組合のストライキ、団体交渉、少数交渉、中労委斡旋、希望退職者募集、更にその後の団体交渉といくたの経過をたどつて翌昭和四七年二月二五日に至りはじめて具体的に新研究所の機構(グループわけ)が発表されたものであるから、その三カ月以上も前であり、かつ組合と本件合理化につきなんら合意にも達していない頃の出来事である三井石油化学からの呼出をもつて会社の組合活動家等嫌悪する者の排除の意図の発現であるとみるのはいささか飛躍があるといわざるを得ない。

5 もし、本件合理化に便乗し選定者らに対し不当労働行為又は思想差別が行われているとすれば、本件合理化に強く反対しストライキを含む長期闘争を行なつた総評合化労連傘下の選定者ら所属の組合が、それを疑わしめる事実(例えば選定者鈴木が供述するように大山課長が同人に対し「組合活動或は共産党活動をやつているから茨城工場へ連れていけない」といつた事実があつたとすればその事実、この種のものは原告側申請の他の証人の証言及び書証中にもみられる)を取上げ、前記三井石油化学による呼出問題同様、選定者小原(ときには石田も)が出席している団体交渉の席上等において会社側に対し抗議をすることが予想されるのにそのような行為に出たことを認むべき証拠はないし、前記乙第七七号証によれば、昭和四七年三月三〇日の第二五回団体交渉において会社側が「人選についてはいろいろ意見も出たが、具体的にはさしひかえることとして、会社は人選につき差別しているつもりは毛頭もない。従つて、組合が差別があるというのなら具体的に差別の証拠を示して立証していただきたい。会社はその立証に対して反論したいと考えている。」と述べたのに対し、組合は主として人選が本人の希望にそわない点を反論したにとどまつたことが認められるのである。

6 以上述べたところによれば、本件人選の合理性をくつがえし、選定者らに対する本件解雇が不当労働行為又は思想差別であるとする原告の主張を認めるには不十分であるといわざるを得ない。

(本項の認定につき採用しがたい証拠の排斥については前記四末尾記載と同様である。)

(三)  信義則違反、権利濫用の主張について

原告は、本件解雇は、第一次合理化において会社が「東京工場を閉鎖しない、研究部門を重視し充実する」とした約束に違反すると主張するが、前記二に認定した事実の経過によれば、昭和四五年二月一七日付会社見解とこれに次ぐ同月二〇日付合理化協定の締結をもつて、仮に右のような約束があつたと考えるにしても、その後昭和四六年八月の第二次合理化提案に始まり、同年一一月一六日付の会社から組合に対する右協定の延長拒否及び右会社見解の破棄通告を経て、いくたの労使交渉の結果昭和四七年三月三一日付前示協定書等作成に至つている経過に照らせば、右の約束は当然失効したものといわなければならないから、原告の右主張は理由がない。また、人選の不合理に関する主張についても、既に判断したところによれば理由なきものといわざるを得ない。他方、会社は人選に洩れ不本意に会社を去らなければならない選定者らのために、職場として新会社を確保しその賃金の一部を保障するなどしてその生活保障の手段を講じていることは既に述べたとおりであるから、就業規則三二条二号に基づく本件解雇が信義則違反であるとか、権利濫用であるとかいうことはできない。

八  本件解雇の効力

その他原告は、本件合理化の不必要性、人選の不当性、不当労働行為、思想信条による差別等にかかわる事情につき、最終準備書面において多岐にわたる主張をするが、それらは、既に述べたところから自ら理由がないと判断されるか、会社の裁量を攻撃するか(特に人選については原告主張のような見方も不可能でないものもあるが、会社による人選の合理性を決定的にくつがえすまでには至つていない)整理後の事情等で直ちに原告の主張維持につながらないか、証拠に対する評価方法の違いか、証拠がないかのいずれかであつて、いずれも排斥を免れないものである。

以上の通りであるから、本件解雇は就業規則三二条二号に該当するものとして有効というべきである。前記のとおり会社は昭和四七年四月七日原告らに対し解雇の意思表示をしたのであるが、右は即時解雇に固執するものでないことが弁論の全趣旨により認められるから、右意思表示後労働基準法二〇条所定の三〇日の期間を経過したときに解雇の効力が生じ、これにより選定者らと会社との間の雇用契約は終了したことになる。

九  結論

よつて、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松野嘉貞 浜崎恭生 仙波英躬)

別表 人選対象者の研究歴

グループ名

テーマ名

氏名

青年月日

入社年月日

最終学歴

卒年

研究歴

通算研究歴

備考

第一グループ

表面処理関係

KOPが中心

〈1〉重合

〈2〉アンカー

〈3〉スリツプ

(物性測定)

大山 透

S

6.  6.5

S

32.  4.1

京大大学院,繊維化学

S

32

S

32. から 防湿セロフアンのアンカーの研究

35. 〃 X線回析によるプラスチツクフイルムの研究

39. 〃 片面防湿セロフアン,ラミ用セロフアン,Kタイプセロフアンの研究(アンカー,スリツプ)

44. 〃 ポリ塩化ビニリデンの重合およびコーテングの研究,S45.10茨城工場で重合の指導

年間

15

木下不二男

16.

3.7

38.

4.1

金沢大,工業化学

38

38.4から セロフアンの物性テストの研究

39.8〃 片面防湿セロフアンの研究(アンカー,スリツプ)

44.1〃 ポリ塩化ビニリデンの重合の研究(重合)

45.4〃 KコートOPの研究(アンカー,スリツプ)

46.1〃 開発工場の品質関係担当,公社用KコートOPをはじめ開発製品の品質の指導

9

中村 敏

16.

9.27

39.

4.1

信州大,工業化学

39

39.4から 防湿セロフアンおよびKタイプセロフアンの研究(アンカー,スリツプ)

43.3〃 ヒードシールコートOPの研究(スリツプ,アンカー)

44.1〃 ビニロンフイルムの表面処理の研究(スリツプ),耐熱性樹脂の研究

8

S

47.2

当時第3グループ

佐々木正哉

20.

9.6

39.

4.1

工業院大,工業化学

44

39.4から ビニロンの増速に関する研究

42.9〃 試作係りでコート品の開発に従事

43.4〃 片面防湿セロフアンの研究(アンカー、スリツプ),KコートOPのバリヤ性などの物性測定に従事

8

石田 正敏

18.

1.15

41.

4.1

東京農工大,工業化学

41

41.4から Kタイプセロフアンの研究(アンカー,スリツプ)

42.9〃 KコートOPの研究(アンカー,スリツプ)

44.1〃 粘着剤,離型コートに関する研究

46.2〃 粘着剤およびKコートアンカーの研究(アンカー)

6

鈴木 藤夫

19.

2.19

37.

4.1

都立化工高,化学

37

(37.4から 東京工場製膜課で三交替勤務)

40.4〃 片面防湿セロフアンおよびセロフアンのスリツプの研究(スリツプ)

41.1〃 セロフアンのスリツプ,接着性の改良の研究(アンカー,スリツプ)

44.6〃 KコートOPのアンカーの研究(アンカー,スリツプ)

7

小原 敏秀

22.

3.15

44.

4.1

九州大,応用化学

44

44.4から KコートOPの着色の防止の研究

44.1〃 Kコート用ポリ塩化ビニリデンのエマルジョン重合の研究(重合)

3

第2グループ

溶融製膜関係

CP,OPが中心

〈1〉OP2号機技術指導

〈2〉コロナ処理

〈3〉帯電防止剤滑剤等の添加剤による改良

(物性測定)

叶田 幹雄

10.

4.3

36.

8.1

金沢大,化学

33

36.8から 防湿セロフアン,Kタイプセロフアンの研究,次いでプラスチツクフイルム特にOPのコーテイング関係の研究

44.7〃 OPの試作を担当

45.11〃 開発工場に移り,OPの試作,OPのコーテイングの試作

46.5〃 研究業務(OP関係)を兼務

11

笹山 進

12.

5.14

36.

4.1

信州大,繊維化学

36

36.4から ビニロンの押出をはじめプラスチツク成形の研究

38.1〃

CPの開発,試作を担当,CPがS39・東京工場にて本生産に入るとともに,S46・当時までCPの品質改良の研究を行う。

43. 〃 ポリウレタン,ナイロンフイルムの試作,研究

44. 〃 各種プラスチツクフイルムの研究,CPの増速化の研究

45. 〃 CPシート,ナイロンチューブ,一軸延伸ナイロンの研究,この間OP試作開発の応援

11

三品 紀年

15.

11.28

38.

4.1

山形大,繊維工学

38

38.4から セロフアンの物性およびポリエチレンのラミネートについての研究

40. 〃 ラミネートの研究と同時にフイルムへのアルミ蒸着について研究

43.5〃 KコートOPのアンカーについて研究

45.8〃 OPフイルムの表面処理(コロナ処理)の研究

46. 〃 OPフイルムの物性の改良にあたり,茨工のOP本生産にあたつて品質改良にたずさわる。

9

武井 正英

23.

10.29

42.

4.1

東京理科大第二部,化学

46

42.5から Kタイプセロフアンの研究

43.4〃 OPの表面処理,コーテイング関係の研究

45. 〃 OPの品質改良,物性の研究およびヒートシールOPの研究

11

相馬孝一郎

25.

3.17

43.

4.1

工業院大学専修学校,工業化学

46

43.4から CPの品質改良をはじめ各種プラスチツクフイルムの成形の研究,試作

45. 〃 ナイロンチューブ(インフレ)の研究,試作,この間,OPの試作の応援

4

入江 芳夫

23.

11.8

42.

4.1

都立化工高,化学

42

(42.4から 東京工場原液課で三交替勤務)

43.4〃 主としてCPエンボス製造にあたる。

44.1~3 CPエンボス製造および研究部OP延伸機の試運転にあたる。

44.4〃 主として研究部OPの延伸機の運転にあたり,OPフイルムの製造実験,この間S46.4~6にかけて茨工OP本生産の試運転の応援

4

第3グループ

溶液製膜関係

〈1〉セロフアン

〈2〉ビニロン

〈3〉感光性フイルム

飯島 荘資

6.

9.16

38.

4.1

信州大,繊維化学

30

38.4から セロフアン製造テスト及びビスコースケーシングの研究

41. 〃 セロフアンの物性研究およびH・E・Cフイルムの研究

44. 〃 SSレジン(耐熱性)フイルムの研究

45. 〃 セロフアンの再生使用の研究

46. 〃 ナイロンフイルターの研究,感光性樹脂フイルムの試作開発

9

郡 成好

12.

2.3

30.

9.26

工学院大,工業化学

36

30. から 各種分析,繊維素の基礎実験

35. 〃 各種プラスチツクフイルムの試作,物性測定

37. 〃 ビニロンフイルムの試作,開発

38.ビニロン製造機のドラム樹脂の研究,ビニロンフイルムのスリツプをはじめ,その他ビニロンフイルム全般にわたつて研究

43. 〃 シリコンゴムロールの研究およびビニロンフイルム品質向上の研究

46. 〃 ビニロンロールの研究

16

松下 哲郎

22.

7.31

45.

4.1

九州大,林産学科

45

45.4から セロフアンの透析の研究

46.1 〃 ナイロンフイルターの研究

2

鳥羽 明彦

21.

11.4

44.

4.1

東北大,応用化学

44

44.7から 耐熱性樹脂フイルムの研究

45.5〃 ビニロンの着色防止の研究

45.7〃 シリコンゴムロールの研究

3

第4グループ

応用研究

〈1〉用途開発

〈2〉販売の援助

中山 不覊

5.

3.7

29.

4.1

早大大学院,応用化学

29

29. から セロフアン関係特にビスコースの研究

(32. 〃 冬季用工場原液課)

(35. 〃 東京工場生産管理か品質係)

41.6〃 応用研究を担当する。この間防錆フイルムの研究を1年間行う。

9

玉井 博幸

15.

10.14

39.

4.1

東京農工第大,工業化学

39

39.5から セロフアンの物性研究

40. 〃 片面防湿セロフアンの研究

40.9〃 セロフアンのスリツプの研究

42.7〃 セロフアンのアンカーの研究

43.11〃エマルジヨン重合の研究

45.9〃 茨城工場の重合の指導,S46からビニロン感光性フイルムの研究

8

S47.2当時第3グループ

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